京都に原爆投下!アメリカは日本に19発の原爆投下を計画

2018年8月26日

物理学の天才、アインシュタイン博士らはナチスドイツが原爆を保有することを憂慮し、アメリカ大統領のルーズベルトに核開発を進めるよう手紙で進言した。

これによってアメリカは総額20億ドル(7300億円)の巨費を投じ、原爆の製造計画(マンハッタン計画)を急いだ。

日本への原爆投下 第一目標は京都

爆風と熱風で効果的に破壊

しかし、ヒトラーが率いるナチスは原爆の開発をしておらず、しかもドイツではなく、アインシュタイン博士が愛する日本に原爆が投下されることになったのは皮肉なことだった。 

三方を山に囲まれた100万人都市

日本への原爆投下で、第一目標とされたのは京都だった。100万人都市の京都は大きな空襲を受けておらず、三方を山に囲まれているため、原爆の爆風と熱風で効果的に破壊できるからだ。

戦争を早く終結させるため 

アメリカが日本に原爆投下した理由は、トルーマン大統領がラジオ演説で、「多くのアメリカ兵の命を救うため」「戦争を早く終結させるため」であると演説し、これが原爆を投下した正当な理由として今日まで続いている。

原爆弾は人体実験 

しかし、原子爆弾は、生きている人間を使った生体実験だった。日本への原爆投下はソ連への威嚇であり、第二次世界大戦後の世界覇権を狙うアメリカが軍事力を世界に誇示するための戦略だった。

アジア人はサル

日本人が人体実験に使われた理由は、アジア人種はサルであり、人間以下という民族差別にある。こうした差別思想は今でも海外で多く感じられる。原爆投下・戦争の勝利によって、白人>黄色人種という力関係が今でも根強く続いている。 

言語アメリカ・イギリス帝国主義

日本人がアメリカに行ったら必至で英語でしゃべろうとするが、アメリカ人やイギリス人が日本に来ても平然と英語でフレンドリーに、英語でしゃべりかけてくることがあたりまえの顔で話しかけてくる。

いきなり英語

これは実は、われわれ日本人を、白人よりも下だと潜在的に差別していることの表れである。もし相手国に敬意を持っていたら、片言でも日本語で話そうとする。

そんな外国人も多いが、圧倒的多数の白人たちは「いきなり英語で」話しかける。そうした白人は、タイやインド、ベトナムなどアジアの各国で、どこでも見られる。 これを「言語アメリカ・イギリス帝国主義」という。

そして、哀れなことに、日本人は英語がしゃべれることが国際人で、英語が堪能なことは国際感覚を持ち、かっこいいと思っている。

そして、女も男も、アメリカ人みたいに髪を明るい色に染める。その方が美しく、おしゃれだと思っている。

日本の文化財を守るため?

ところで、京都がアメリカの空襲から免れた理由に、ラングドン・ウォーナー博士が日本の文化財を空襲の対象から外すよう進言したからだとする説があるが、京都は5回の空襲を受けている。

原爆投下の第1目標になったため、京都への空襲がたまたま中断されたのにすぎない。 

あくまでも軍事施設を破壊

原爆の投下目標が直前になって京都から、広島、長崎に変えられたのは、国際社会から「無差別殺人」と非難されるのを避けるためだった。

このため、原爆使用はあくまでも軍事施設を攻撃目標としたという明確な理由が必要だった。

広島は戦艦大和を、長崎は戦艦武蔵を造った軍事拠点だった。京都にあるのは紡績工場だ。

 

3発目は京都に

しかし、広島、長崎に続き、3発目の原爆が用意された。目標は、京都。着物を作っている紡績工場を原爆で破壊するためだ。

だが、ルーズベルトの急死後に、大統領となったトルーマンはようやく日本への原爆投下の中止を決定する。

トルーマンは自分がナチスヒトラーよりも、もっと遥かに非道なことをしていると、国際社会から思われたくなかったからだ。 

昭和天皇の英断

第二次世界大戦、太平洋戦争が終わったのは昭和天皇の決断によるもの。「昭和天皇の英断で戦争が終わった。天皇は日本をぎりぎりのところで救った」というのが定説だ。

国体護持

しかし、東京大空襲など都市が焼き払われ、沖縄や原爆で多大な犠牲者を出しても昭和天皇は戦争を続けた。それは、「国体護持」が保障されない限り戦争を続けるという昭和天皇の意志によるものだ。

国体

国体というのは、国民体育大会のことではない。天皇制のこと、天皇がいる日本社会、戦争に負けましたと言っても自分は死刑にならない。そのことが確認できたから日本はポツダム宣言を受け入れ、無条件降伏した。

アメリカは天皇を生かしておいた方が日本を支配しやすいと考えた。坂本龍馬が、江戸幕府を倒しても将軍の徳川慶喜を処刑しなかったのと同じ理由である。

日本のトップが「アメリカは偉い」と思ったら、日本人はそう思う。鬼畜・米英と言っていたことも忘れて。

ぎりぎり日本は救われた

アメリカは昭和20年末(1945年末)までに19発の原爆を日本に投下する計画だった。しかし、昭和天皇は国体護持を確認したため、「もう戦争はやめよう」と英断。かくて日本は19発の原爆を受けることなく、ぎりぎりのところで救われた?

追記)私は共産党員でも新左翼でもありません。ニセ左翼、暴力集団ではなく、口だけ集団です。

写真は、原爆で死んだ弟を背負って火葬場にやってきた少年。軍国主義が少年の骨の髄まで染み込み、涙を見せることなく直立不動のまま。

美智子さまはこの写真を見て涙されたと言う。私は報道の腕章をつけて、今の天皇陛下にもお会いしたことがある。リクロールおじさんみたいに、やさしい、いいおじさんだと思った。

それで、おれは何を責めればいいのか、わからなくなった。紀子さまと目があい、私のことを赤ちゃんから知っているようなとても親しい、素敵な笑みを向けていただいた。国民一人一人のことを心配し、愛しているお方だと思った。

初対面の女性からこんな笑みをもらったのは、生まれて初めてである。おれは今でも、その笑みを思い出し、心がじーんと響いてくる。

天皇の戦争責任と言うが、何を責めればいいのか、おれにはわからない。きっと責めるべきものは自分のなかにあるのだろう。