「人生いろいろ」歌手・島倉千代子さん死去とテレサテンの歌 

2018年12月16日

「人生いろいろ」歌手・島倉千代子さん死去

島倉千代子さんの死 

昭和を代表する歌手の一人、島倉千代子さんが亡くなった。死因は肝臓がん。75歳だった。

「東京だョおっ母さん」「人生いろいろ」のヒット曲で知られる島倉さんだが、プロ野球のスター選手との離婚や多額の借金、乳がん切除など波乱の多い人生だった。

歌うことは「生きること」

島倉さんは自分を励ますように歌い続け、「泣き節」といわれる哀愁を帯びた歌いぶりに、多くの日本人は心をゆすぶられた。

「歌を歌っていることが、生きていること」と、島倉さんは言った。

莫大な借金

人気絶頂時の結婚。そして離婚。元夫の事業失敗や連帯保証人になった相手の夜逃げ。莫大な借金は島倉さん一人に押し付けられた。借金は16億円にものぼった。

日本の歌姫

島倉さんは歌はやめなかった。愛が冷めてしまった日も。巨額の謝金はひとりキャバレーめぐりをしながら歌って返済した。乳がん治療で声を失うが、血のにじむような訓練で声を取り戻した。

私の人生が「人生いろいろ」

島倉さん自身、「人生いろいろ」の歌に特に思い入れがあり、「私の人生そのものが、“人生いろいろ”。自分の歌のよう」と話した。

慎ましく、美しい日本女性 

おごることなく、気配りが上手で、戦前の女性のように慎ましく、美しい姿。自分で使った楽屋や旅館の部屋は自分自身で掃除した。

テーブルには「汚したままでごめんなさいね 千代子」と書かれた手紙が必ず添えられていた。

乳がんを公表

苦労して借金を完済したが、これまでの身体や精神への負担が大きく、1993年に乳がんを発症。この時、島倉さんは記者会見を開いたが、これが芸能界で初めてがんを公表した会見となる。

コロッケに真似されながら

ものまね芸人「コロッケ」に真似されながら、のんびりしたキャラが若者たちにも受け入れられた。

だが、次は肝臓がんが島倉さんを襲う。それでも歌への意欲を見せ、デビュー60周年に向け、ファンでもある南こうせつさんに作曲を依頼した新曲「からたちの小径(こみち)」のリリースの準備を始めた。 

死の3日前にレコーディング

レコーディングが行われたのは島倉さんが亡くなる3日前。

病気で亡くなる3日前にレコーディング。作詞作曲を担当した南こうせつさんは「最後の最後、死ぬ間際まであれはありえないです。奇跡ですよ」と驚きを隠せない。

島倉さん、逝去 

2013年11月8日午後0時30分。島倉さんは苦しむことなく、眠るように静かに息を引き取った。

“アジアの歌姫” 歌手、テレサ・テン 

1995年に死去したテレサ

「人生いろいろ」の歌手・島倉千代子さんは、1995年に死去した歌手・テレサ・テンの姿に重なる。

「つぐない」の歌が大ヒット

「アジアの歌姫」と言われるテレサ・テン。日本では、「時の流れに身をまかせ」「つぐない」「愛人」の歌が大ヒットした。

台湾出身の歌手で、中華圏では鄧麗君(デン・リージュン)の名前で知られている。

政治に翻弄された歌姫 

テレサの父親は軍人。中国本土の内戦で敗れた蒋介石とともに中華民国(台湾)に移った外省人の一組だった。

テレサの人気にあやかり、中華民国の軍部は自国の宣伝(対中国共産党)にテレサを使った。テレサは「愛國藝人」とも呼ばれた。

テレサの影響力を恐れた中国共産党は、テレサの歌を放送禁止とした。

生まれ故郷で歌うのが夢

両親が生まれた中国本土で歌うことがテレサの夢だった。1990年に中国本土でテレサのコンサートが予定されていたが、多数の学生たちを生きたまま戦車・装甲車でひき殺した中国・北京の天安門事件(1989年)のために中止された。

昼は鄧小平、夜はテレサが支配

「民主化」「平和」への祈りを込めて歌うテレサの歌は、中国共産党にとって“敵の歌”だった。

それでも、「中国の昼は鄧小平が支配し、夜は鄧麗君(デン・リーチュン)が支配する」と言われたほどの人気があった。

世界7大女性歌手の1人に

タイム誌によって世界7大女性歌手の1人に選ばれた。

だが、静養のためたびたび訪れていたタイ・チェンマイのメイピンホテルで気管支炎喘息による発作のため死去。42歳という若さだった。富と名声を得ながらも、晩年は孤独な独身生活を送っていた。

 

チェンマイのビアバーには、若いころの島倉千代子とテレサ・テンに似た二人の女性がいる。

 

どちらの女性にも、「愛しているよ」と言ってしまう。

“日本人の心”を歌う歌手は?

日本には、安室奈美恵といった人気の歌手はたくさんいる。だが、中島みゆき、ユーミンが死んだら、日本には“日本人の心”を支える歌手はいなくなる。