都市伝説「となりのトトロ」誕生秘話!宮崎監督の母への想い

都市伝説「となりのトトロ」誕生の秘話

宮崎駿監督の母への想い

「となりのトットロ、トットロ~」

誰もが聞いたことのある、トトロの歌。

宮崎駿監督のジブリ映画『となりのトトロ』。昭和30年代前半の日本を舞台にしたファンタジー。田舎へ引っ越してきた少女サツキ、メイ姉妹と、不思議な生き物「トトロ」との交流を描いています。

トトロは、「所沢にいるとなりのオバケ」

「所沢にいるとなりのオバケ」。これがトトロの名前の由来とされています。実際に作品の舞台となった「トトロの森」があり、場所は宮崎監督の自宅に近い狭山丘稜。

北欧で伝えられる森の妖精「トロール」をモデルにしたという裏設定もあります。

トロールとは? 

「トロール」とは、“悪意に満ちた毛むくじゃらの巨人”として描かれ、変身能力があり、どんな姿でも変身できます。

ノルウェーでは、日常生活でふっと物がなくなった時、「トロールのいたずら」と言われ、その土地に住む精霊のようなもの。

ムーミンとの関係は?

「ねえムーミン、こっち向いて」の歌でも知られる、アニメのムーミンシですが、スウェーデン語では「Mumintrollet」で、日本語訳にすると、「ムーミントロール」と訳されています。公式サイトによると、ムーミンは北欧に伝わるトロールや妖精とは違い、さらにカバでも妖精でもなく、「生きているもの」だそう。

お母さんが入院した病院は?

サツキとメイの母親は、草壁靖子(くさかべやすこ)。穏やかで優しいお母さん。作品では靖子の病名は明らかにされていませんが、身体が弱く、「七国山病院」に入院しています。

「七国山」ではありませんが、トトロの森の近くには、「八国山緑地」という地名があり、付近にある「新山手病院(東村山市)」が、靖子が入院していた病院のモデルとされています。

お母さんの病気は「結核」?

そして、サツキとメイのお母さんの病気は、「結核」というのが、都市伝説。新山手病院は、首都郊外の結核病院として知られ、今でも正式名称は「公益財団法人結核予防会 新山手病院」。現在も結核治療に尽くしています。

新山手病院の公式ホームページには、病院の特徴として

「当院は八国山緑地が背に広がる場所に位置しています。アニメ映画「となりのトトロ」に登場する病院のモデルにもなった緑豊かな落ち着きある環境下で、長年に渡り地域医療を支えてきました」と紹介しています。

お母さんがサツキの髪をすいてあげるシーン

ところで、サツキがお母さんの病院にお見舞いに行くと、お母さんがサツキの髪をすいてあげるシーンがありますね。

お母さんに髪をすいてもらって、ほっぺを赤くするサツキ。

無邪気に母に甘えられる4歳児のメイと違い、入院中の母に代わって、がんばっているサツキには日常生活で甘えられる人がいません。

だから、お母さんは、幼いメイよりも優先し、サツキの髪をとかしてあげたのです。

髪をすくシーンにもモデルが存在していた?

トトロの制作スタッフ(女性)の母親が病気で、娘がお見舞いにやってきても母親は何もできない。母親は病床で、その女性スタッフの髪をせっせととかしてくれたそうです。しかし、女性スタッフには母親の気持ちがよくわかり、ものすごく支えになったそう。宮崎駿監督は、インタビューでこんなエピソードを語っています。

宮崎監督の母親への想い

しかし、「となりのトトロ」の作品の根底に流れる、最も強い想いがあります。それは、宮崎監督の母親に対する想い。

宮崎監督の母親は結核でした。気性のはっきりした女性だったらしいですが、身体が弱かったらしく、幼い宮崎監督を背負うこともできませんでした。

宮崎監督の子供のころ、結核は「死の病」と恐れられていました。母親が死んでしまうことへの恐怖や悲しみは深く、そのころの幼い体験がトトロに結び付いているように感じます。

宮崎監督の所沢へのこだわりとは?

所沢は、宮崎監督が長年住んでいる街。宮崎監督が若かったころ、東映動画や手塚治虫の虫プロダクションなどアニメーション業界は西武線に集中していました。当時、まだ著名でなかった宮崎監督が、経済的に住める場所は埼玉県の所沢。

監督の原風景

その後、ヒット作を生み出し、経済的な余裕ができ、通勤に不便を感じても、監督は所沢を離れようとしませんでした。トトロの森、武蔵野は監督の原風景。『となりのトトロ』『もののけ姫』などの作品にも、そんな原風景を見ることができます。

トトロ、ネコバスを動かしているパワーは?

作品では、トトロが大空を舞い、ネコバスが田んぼを駆け抜けます。そのパワーの源泉は、サツキとメイの心のなかにある風景。子供しか見えない世界観。そして、病気のお母さんを心配し、“お母さんに逢いたい”という想いです。トトロやネコバスといった、不思議な生き物たちが誕生したのは、サツキとメイの心に、監督自身のお母さんへの想いを重ねたからではないでしょうか?

トトロの森とは?

狭山丘陵は、映画『となりのトトロの』の舞台のモデルとなった場所ともいわれています。東京都と埼玉県にまたがる丘陵には、武蔵野の里山の景色が残っています。

ここでは、「公益財団法人トトロのふるさと基金」という団体が、トトロの森を守るための活動を行っています。

「クロスケの家」 でトトロと出会う

「クロスケの家」は、トトロの森から近い所沢市三ヶ島にある古民家で、トトロのふるさと基金の活動拠点になっています。曜日を限って一般公開され、見学することができます。

トトロのぬいぐるみ、グッズ、トトロのイラストやポスター、画像、めいちゃんにも出会えます。入館料金は必要ありませんが、活動を支援するため、「クロスケの家基金」への寄付をしましょう。

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『となりのトトロ』の都市伝説は真実か?

トトロの森は心霊スポット?

トトロが棲んでいる場所は、サツキとメイの家の隣にある塚森。塚森(白旗塚)の近くには、小手指古戦場跡があり、南北朝時代に新田義貞が鎌倉幕府軍と戦った場所で、地元では心霊スポットとされています。ちなみに、ネコバスの額に現れる地名(塚森、長沢、三ッ塚、墓道、大社、牛沼)は実在する地名。

サツキ、めいちゃんは死んでいる?

都市伝説で一番有名なのが、サツキとメイちゃんが死んで幽霊になったのでは?という噂。映画後半になるとサツキとメイの影が急に消えてしまい、これは2人が死んで幽霊になったためではないか。トトロのもともとのモデルは死神であり、死後の世界を描いているとも。

都市伝説の由来としては、「映画の後半にサツキやメイに影がなくなる」というもの。これについてはスタジオジブリが公式に否定し、ニュースになったほど。

これに関しては、ジブリ側は「背景や人の影は時間の経過を表現している」というもの。つまり、彼女たちに影がないのは太陽の真下(正午)にいるから。影が長めに出ている時は、夕暮れ時を描いています。夕日の色合いや強さなど、細部にこだわった演出が見られます。

同時公開の『火垂るの墓』の影響

「サツキ、めいちゃんは死んでいる?」という都市伝説を生み出したのは、同時公開の『火垂るの墓』の影響もあると思われます。

『となりのトトロ』は1988年に劇場公開されましたが、もう一本映作品がありました。その作品が『火垂るの墓』。

劇場公開時に同時上映された『火垂るの墓』に登場する節子は、メイと同じ4歳。戦時中と戦後。どの時代に生まれたのかで、節子とメイの人生を大きく変えます。

時代が、生死をわけた

14歳の兄(清太)と4歳の妹(節子)が戦争で栄養失調となり、無残な死に至るまでの姿を描いていますが、二人はすでに幽霊であり、神戸空襲から死ぬまでの悪夢を繰り返し見つめ続けているという設定。

トトロと過ごした、元気いっぱいの楽しい夏。一方、戦争で食べるものがなく、飢え死となった夏。サツキやメイの生が輝けば輝くほど、清太と節子の悲惨さ、死が際立ちます。

『火垂るの墓』では終盤になって、清太と節子は実は死んでいて、これは幽霊が回想している物語だとわかります。このイメージと重ねて、「サツキ、めいちゃんは死んでいる?」という都市伝説が生み出されたのかもしれません。

サツキ、メイの成長

『となりのトトロ』のラストでは、サツキとメイは、トトロと一緒に病床の母親を訪ねますが、トウモロコシを窓辺に置き、母親に会わないで帰ってしまいます。

これは「すでにサツキとメイは死んでいて、母親には見えなかった」とする都市伝説がありますが、これは違いますね。

このシーンは、ちょっぴり甘えん坊だった姉妹が、お母さんの元気な姿を見て安心し、会いたい気持ちを抑え、お母さんにいつも甘えてばかりじゃいけないと成長した証ではないでしょうか?

だから、お母さんは、窓の外を見て、「メイとサツキが笑っていたような気がしたの」と言ったのでしょう。

トトロのポスターの謎

もともとサツキとメイは一人の女の子だった?

これは、本当です。

トトロのポスター(劇場公開時)を見れば、よくわかります。ポスターに描かれているのは、一人の女の子だけ。

『トトロ』の主人公はサツキとメイの姉妹。しかし、当初のポスターにはサツキとも、メイともいえない女のが一人。これは、どういうことなのか?

これは、トトロの同時上映作品であった『火垂るの墓』の上映時間が88分に延びたため。つまり、『トトロ』は最初60分の予定だったが、急きょ20分追加して、80分以上にのばすことになったのです。

そこで、宮崎監督は、当初一人だった主人公の女の子を、姉妹の2人にして、20分延長することになったと語っています。

ポスターの制作時にはサツキとメイの設定はなく、当初の設定の女の子でポスターが制作され、デザインの難しさなどもあって、初期設定のポスターが使われました。

一人の女の子から、サツキ、メイが誕生?

初期設定では、主人公の女の子は1人で、サツキがトトロに出会って傘を貸すことから始まる物語。しかし、最初にトトロに出会うのは、物怖じしない少女の方がいいと考え、好奇心旺盛の幼いメイが誕生。正反対の性格を持った姉妹が登場し、もっと味わい深い物語に変わっていきました。

当初のトトロのポスターは、サツキでもメイでもない、二人の特徴が合わさった謎の女の子。サツキとメイの原型となる女の子です。当時は、サツキをロングヘアにする案もあったそう。

トトロのポスターに出てくるバス停は実在する?

これも本当です。『となりのトトロ』のポスターは、サツキが眠ったメイを背負い、トトロの気配に気づいてサツキが目を大きく見開いている姿が描かれています。

バス停の名前は、「稲荷前」。

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これは、東所沢駅から出ている「ところバス」の停留所「稲荷町」がモデルとされています。サツキがトトロに、お父さんの傘を貸してあげる場所もここ。

東所沢駅からバスが出ていますが、本数が少なく、最寄り駅は新秋津駅。駅から徒歩約15分。

現在は、ポスターに描かれている面影はありませんが、宮崎監督の若いころは鬱蒼とした不気味な雰囲気があったのかもしれません。

サツキとメイの家は実在する?

これも本当です。

サツキとメイの家があるのは、愛知県長久手市。2005年に開催された国際博覧会「愛・地球博記念公園」の展示の一つとして建てられ、今も残されています。

愛・地球博記念公園では、2022年にジブリパークがオープン。「となりのトトロ」や「耳をすませば」「魔女の宅急便」「千と千尋の神隠し」の世界観が味わえる施設なる予定。

コダマは、トトロの先祖?

これも本当です。

人気ジブリ映画の『もののけ姫』。森の精霊「コダマ(木霊)」が登場しますが、「コダマに耳が生えて進化したのがトトロ」と、宮崎駿監督は言っています。

おわりに

劇場公開時は、興行的に苦戦した『となりのトトロ』と『火垂るの墓』。しかし、今ではスタジオジブリを代表する作品に。

1950年代の埼玉県所沢市周辺。家の近くには雑木林があり、水田が広がり、子供たちは家事を手伝いながら、林や水田で遊んでいた時代。スマホもパソコンもテレビも映画もない時代ですが、子供たちは想像力を広げて自然と遊んでいました。

新型コロナウイルスで世界や日本が苦しむなかでも、 『となりのトトロ』 がテレビ放映され、再び注目を集めることに。ほっこりとした気持ちにさせる『となりのトトロ』。子供だけでなく、大人の仮面をかぶった(かぶせられた)かつての子供にも共鳴するものが多く、今の日本が忘れてしまったいろんなものを感じさせてもらえます。