「岬めぐり」の場所は三浦半島、山本コウタローの死因は?

2022年8月12日

「岬めぐり」の場所は三浦半島、山本コウタローの死因は?

歌手の山本コウタロー、死因は、脳内出血。73歳。

「岬めぐり」「走れコウタロー」などのヒット曲で知られる歌手、山本コウタロー(やまもと・こうたろー、本名山本厚太郎=こうたろう=)さんが2022年7月4日未明、脳内出血のため死去した。73歳だった。

山本さんの公式ホームページでは「山本コウタロー永眠のお知らせ」と題して、山本さんの死去を報告。「2022年7月4日未明、脳内出血で息を引き取りました。享年73歳。体調不良のため静養中」ということだった。

山本コウタローさんの奥さんは、映画評論家の吉田真由美さん。

「故人の遺志により葬儀は近親者のみで執り行いました」という。

昭和フォークの代表でもある、『神田川』の作詞家、喜多條忠さんが死去したのは2021年11月22日。74歳だった。

昭和フォークソングの名曲を生み出した、異才たちがまたひとり消えてゆく。

『岬めぐり』の歌詞との運命的な出会い

曲の完成までわずか20分

山本コウタローといえば、自身の名前が入った「走れコウタロー」が1970年にミリオンヒット。その後、バンドは解散。それなりに音楽活動を続けていたが、先の見えない状態だった。

そんなとき、売れっ子作詞家の山上路夫に詞を依頼。山本コウタローのもとに、『岬めぐり』の歌詞が届いた。すると、ぱっとメロディーが浮かび、曲の完成までわずか20分。まさに運命的な詞との出会いだった。

「岬めぐり」の悲しみは?

失恋? 愛する人を失った悲しみ?

「岬めぐり」は、1974年6月1日にリリース。

もう会うことのない女性を想いながら、あのとき彼女が話していた岬へと、主人公の男性はひとり旅に出る。

悲しい歌だが、青く広がる海のように、爽やかな、澄んだ明るさが漂う、不思議な歌だ。

山本コウタローが書いた詞ではないのに、山本コウタロー自身の歌のように思える。

失恋の歌だと思っていたが、愛する人を失った悲しみの歌とも受け取れることができる。

「今ではそれも かなわないこと」「悲しみ深く 胸に沈めたら」「あなたをもっと 愛したかった」「僕はどうして 生きていこう」の歌詞は、失恋というように感じられるが、深読みすれば愛する人を失った悲しみと読み取ることもできる。

「岬めぐり」のモデルは、三浦半島?

三浦半島では、ご当地ソングとして認知

ところで、この「岬めぐり」の歌詞に登場する岬だが、山本コウタローがのちに山上路夫に聞いたところ、「三浦半島だよ」と言われたそうだ。

山上路夫は他のインタビューで、「伊豆や渥美半島など全国の岬を歩き、それらの総合的なイメージが時間をかけて発酵してできた」と答え、特定の場所を詞にしたわけではないとしている。だが、『岬めぐり』は京浜急行の三浦海岸駅で入線メロディーとして使われ、以前は三崎口駅でも使われていた。

三浦半島の人たちにとっては、ご当地ソングとして認知されている。

山本コウタローも晩年、メディアで「あれは三浦半島なんです」と話している。

「岬めぐり」のバスに乗るには?

岬めぐりバスは京浜急行三浦海岸駅発35系統

では、三浦半島の岬めぐりをするには、どのバスに乗ればいいのでしょうか?

Yahoo!知恵袋では、地元民がこんな回答を寄せている。

岬めぐりバスは京浜急行三浦海岸駅発、35系統

【松輪、剣崎、毘沙門経由三崎東岡、三崎港行きです】

三崎へ三浦市東海岸をゆったりと海を見ながら大回りし、風力発電の巨大な風車を横目にのんびりした三浦のキャベツ畑、スイカ畑を見ながら心も穏やかに三崎港に到着するバスです。

城ヶ島へはバスを乗り継がなければなりません。

また城ヶ島へ乗り継がないで短時間で行きたい場合は、三崎口駅から三崎港経由城ヶ島行きバスが便利ですが、このバスは三崎港まで内陸を走り海が見えないので、

三崎めぐりバスは、ズハリ京浜急行35系統でしょう!

三浦西海岸、剣崎、松輪、毘沙門海岸をめぐり、畑の高台からも城ヶ島を見下ろせます。

城ヶ島も岬、灯台だらけですね

まさに岬めぐりは京浜急行35系統です。ぜひ岬めぐりへお越しください☆

三浦半島へは、よくドライブでデートに出かけた。ここが、「岬めぐり」のモデルの舞台とは知らなかった。観音崎灯台があり、東京湾フェリーの久里浜港があり、野比海岸が続き、剣崎、城ヶ島へと続く。はじめて訪れた時、巨大な風力発電の風車におどろいた。のびりしたキャベツ畑、スイカ畑。とても巨大なスイカは5000円ほどしたが、とてもおいしかった。海が青く、自然にあふれ、東京を離れてのんびり過ごすことができた。マグロが安くて、とてもおいしかった。懐かしい。死去した山本コウタローと同じように、あの時の彼女とも、もう会うことはない。