奈良観光おすすめ「心霊&ミステリースポット」モデルコースで巨大霊パワーを体験
日本初の世界遺産で、世界最古の巨大木造寺院「法隆寺」。日本最古の神社「大神(おおみわ)神社、日本最古の仏像「飛鳥大仏」など、古い歴史が眠る奈良は古代ミステリーの宝庫だ。伊勢神宮や熊野本宮大社など関西の主要神社を結ぶと巨大な五芒星が浮かび上がり、この中心となるのが平城京である。巨大な霊的パワーが渦巻く奈良県で、日本最大のミステリースポットをご紹介。大仏や鹿だけでない奈良観光を楽しまれてみてはいかが?
近畿・関西の五芒星レイライン~巡礼の旅へ
「伊勢神宮」「熊野本宮大社」など5地点を結ぶ巨大レイライン
世界の主要な古代遺跡が同一直線上に並ぶレイライン(ley line)。関西では、奈良を中心に五芒星のレイラインが綺麗に浮かびあがるのをご存知か。「伊勢神宮(内宮)」「熊野本宮大社」「伊吹山」「元伊勢 外宮豊受大神社(京都)」「伊奘諾神宮(淡路島)」の5地点。これを結ぶと、巨大な星形が現れる。5地点を結ぶ5つの線の長さは等しく、それぞれ約180キロメートル。偶然か?
日本最強のミステリアスな巨大レイライン
東大寺・二月堂回廊からの眺望
さらに、五角形の上辺は、「御来光の道」の一部を形成。五芒星の中心では、縦のラインに「平安京」「平城京」「明日香京」「熊野本宮」が同一直線上に見事に並ぶ。中心を通る「富士山~伊弉諾神社」と、「出雲大社~伊勢内宮」の距離はそれぞれ約350キロメートル。この五芒星の中心こそが、奈良の平城京だ。東大寺・二月堂の回廊からは、眼下に世界遺産の大仏殿(金堂)や平城宮跡、遠方に生駒山が見えるので、日本最強のミステリアスな巨大レイラインの中心部を眺望していただきたい。
心霊スポット「生駒山」
さきほどの二月堂の回廊から真正面に見える山が生駒山。この山の中腹にある山寺が写真の「宝山寺」だ。生駒山は、宗教世界としての顔を持ち、大阪の住吉大社の神南備山とされている。行基(奈良時代の僧侶)や役小角(修験道の開祖)にまつわる伝承も多い。
隠れたミステリースポット「宝山寺」
宝山寺は、「生駒聖天(いこましょうてん)」とも呼ばれ、もともとは役小角(役行者)が開いた修験道場。現在は、商売繁盛の神として金運・運気アップの寺として人気がある。しかし、この付近は死者と交信するシャーマニズム信仰の寺(朝鮮寺)が多いことはあまり知られていない。実は、UFOの目撃情報も多数ある隠れたミステリースポットなのだ。生駒山には首のない地蔵が並ぶ細い道があり、そこを通るとそのまま帰れなくなるという。
「梅屋敷駅」の霊的パワー
断食道場もある宝山寺界隈。裏手には、日本最古の生駒ケーブルカーの「梅屋敷駅」があり、人の気配がまったくない。秘境感たっぷりの無人駅だ。誰も通ることのない踏み切りを渡り、ケーブルカーに沿った細い道がある。廃墟に近い小さなお堂が建ち並ぶ。そのうちの一つには、遊女らしい女性が描かれた絵画があり、こちらをじっと見つめている。この付近は「岩谷の滝」と呼ばれる隠れ修行の里。ミステリアスで、かなり強い霊的パワーが働いている。
「岩谷の滝」の時空
さきほどの「岩谷の滝」とへと続くお堂の中には、着物姿の女性が描かれている。うつろな目が物悲しい。実は、宝山寺界隈は、色町(遊郭街)としての歴史があり、歌手の故・藤圭子さん(宇多田ヒカルさんの母親)が「生駒は哀しい女町」と切なく歌いあげたミステリアスな花街なのだ。
生駒山上遊園地のミステリー
生駒山頂遊園地の「飛行塔」
写真は、生駒山の山頂にある「飛行塔」だ。山頂部分は遊園地となっているが、普段でもほとんど人がいないのに、冬にはもっと人がいないので冬季は閉鎖されている。
その中で輝かしい施設が、この「飛行塔」。現存する大型遊具としては国内最古というミステリーに満ちた「飛行塔」である。ゴンドラや吊り下げケーブル以外は、昭和4年(1929年)の建設当初のまま。実は、「国宝級のお宝」なのだ。戦争中は、海軍航空隊によって防空監視所として使われたことも、ほとんどの人は知らない。
本物が出る!お化け屋敷「地獄門」
こちらも同じ「生駒山頂遊園地」にあるお化け屋敷で「地獄門」。日本で最も、怖すぎるお化け屋敷。なぜなら、“本物”が出るからだ。東京ディズニーランドやUSJに敗れて、「奈良ドリームランド」や「あやめ池遊園地」が次々に廃園へと追い込まれたなか、そうはさせないと奈良の霊パワーによって守られているお化け屋敷。
旧生駒トンネルも心霊スポット
また、生駒山の真下には、旧生駒トンネルがあり、ここも心霊スポット。1913年(大正3年)に大規模な落盤事故があり、約150人の朝鮮人労働者が生き埋めとなり、このうち多くの人々が亡くなった。
薬師如来が現われた伝説の霊地
薬師山鶴林寺(旧鶴林寺跡)
生駒山頂に近い山中。強い霊気を放つ神社がある。「薬師山鶴林寺(旧鶴林寺跡)」。役小角が祈願した際に、薬師如来が現われたとされる。和銅3年(712年)に行基が開山した日本最古の霊場。訪れる人はほとんどなく、特別なオーラを帯びた神秘的な結界(けっかい)に守られた聖域だ。心霊スポットだが、ここにいるだけで奇妙な安らぎが得られ、気分が落ち着き、不思議な元気が出てくるパワースポット。
旧鶴林寺跡の「薬師の滝」
さきほどの旧鶴林寺跡の近くにある「薬師の滝」。水は枯れ、苔むした石垣で囲まれた行場だ。ガイドブックにも載ってない、ひっそりした聖地。風雪に削られた地蔵や不動明王 (ふどうみょうおう)が、現世に傷ついた人を優しく強く迎え入れてくれる。行基や役小角のパワーが最も感じられる遺構だ。
生駒山頂には、旧鶴林寺の奥の院も
二上山の怪奇ミステリー
丑の刻参り、バラバラ殺人事件!二上神社のミステリー
生駒山から約20キロ南下した場所にある二上山。近くには「屯鶴峯(どんづるぼう)」と呼ばれる白い巨大な岩山が連なり、ここも心霊スポット。しかし、もっと怖いのが二上山の山頂にある「葛木二上神社(かつらぎにじょうじんじゃ)」だ。丑の刻参りに訪れる人もいて、その時に使用された五寸釘が多く見つかっている。近くではバラバラ殺人事件もあり、いまだに見つかっていない部位もあるとのうわさが絶えない。
悲劇のプリンス!大津皇子(おおつのみこ)の墓
さきほどの二上山は、万葉歌にも詠まれている聖なる山。7世紀末の飛鳥時代に、文武に優れた大津皇子(おおつのみこ)の墓がある場所だ。大津皇子は将来を期待されながらも、権力闘争から謀反の罪に問われ、24歳の若さで自殺に追い込まれた悲劇のプリンス。嘆き悲しむ姉は飛鳥の都で、二上山に沈む夕日を眺め、「明日からこの山を弟だと思う」と、万葉集に詠みあげた。非業の死を遂げた大津皇子の霊気が漂い、哀しくも清浄なミステリアスなパワーに満ちている。
高取城のミステリー
謎の猿石
日本最大の山城、「高取城」。城郭は周囲約30キロメートルという、想像を絶する巨大な山城だ。天守閣は取り壊されたが、今も壮大な石垣が山中に残り、まさしく廃墟。最もおすすめのミステリースポットが、写真の「猿石(さるいし)」。二ノ門に置かれた守護神で、飛鳥時代の遺物であることが判明している。かつて都が置かれた明日香村には、謎の石仏が多く残り、これらはインドネシアの島々に残る石仏と酷似している。もしかしたら、この猿石は、遠く南太平洋の島から渡ってきたものかもしれない。かなりミステリアスな遺物だ。
天川村の心霊スポット
生きて戻れない!?行者還トンネル
続いては、奈良県の中心に位置する天川村。かなり深い山奥に、「行者還(ぎょうじゃがえり)トンネル」という不気味なトンネルがあり、心霊スポットで有名なところ。国道(309号)なのに、トンネル付近の対面通行は極めて困難で、まさに酷道。トンネルの名前は、近くにある「行者還岳(ぎょうじゃがえりだけ)」にちなむもの。山頂は険しく反り返り、日本で初めて富士登山に成功した役小角を返り討ちに。行者を拒む強烈な霊力が渦巻いている。
最強パワースポット「天河大辨財天社」(天河神社)
UFOの目撃情報も多し
奈良県天川村といえば、強烈なヴォルテックス(エネルギーの渦)が噴出している最強のパワースポット「天河大辨財天社」(天河神社)があるところ。富士山や高千穂峡と並ぶ日本最大級のパワースポットである。UFOの目撃情報が異常に多く、天河神社の宮司さんはUFOのビデオ撮影にも成功。天河神社の奥宮となる弥山は、UFOの発進基地だという。かなりミステリアス。
天河神社の奥宮「弥山」
弥山神社
そして、こちらが天河神社の奥宮となる弥山。山頂には「弥山神社」があり、白く立ち枯れた木々が折り重なる荒涼とした風景。しかし、弥山神社の裏手からは、おびただしい量のヴォルテックスが激しく噴出している。弥山は、世界遺産に登録された日本古来の霊場「高野」「吉野」「熊野」というヤマト三大霊場の中心に位置。青々とした大峯山の山が重なりあい、“人間が達しうる水平的な奥の極点”が見えるところ。心の清浄な空気に悪運や心の迷いが浄化され、不思議な気の流れが心に入ってくるようだ。
聖宝ノ宿跡
静寂の森にたたずむ聖者の像。弥山の山中に「聖宝ノ宿跡(せいほうのやどあと)」と呼ばれる森があり、青銅で作られた行者像が置かれている。まるで生きている人が岩に座っているよう。ここは、もの凄いパワーに満ちた聖者の森。原生林が瑞々しく、光や水、空気の粒子が響きあい、明るくなりきった森の奥から美しいメロディーが聴こえてくるようだ。樹々の間を突き抜ける暖かで優しい光に、もう二度と会えない人と再会したような喜びと安らぎが感じられる。
おわりに
日本最大、最強のミステリアスな巨大レイラインの中心「奈良」
奈良県天川村は、修行の山である「大峯山」があり、世界文化遺産に登録された巡礼の道「紀伊山地の霊場と参詣道」があるところ。まさしく、この幽玄世界こそが、巨大な霊的パワーが渦巻く奈良の源泉となる地である。日本最大、最強のミステリアスな巨大レイラインの中心部、奈良で巨大な霊パワーを感じてみてはいかがだろうか?
奈良県、心霊&ミステリースポットBEST5
関西の秘境駅、日本最古のケーブルカー『霞ヶ丘駅』(奈良県生駒市)
大都市に近い場所にありながら、ホームに降り立つ人がほとんどいない秘境駅。それが、生駒山にある『霞ヶ丘駅』だ。
生駒山は奈良と大阪の県境にある山で、滝の修業場や祠など数多くの宗教や宗派が混在し、古くから“人の魂が集まる神々の山”とされてきた。修験道の開祖・役小角(えんのおづの)や、奈良時代の僧侶・行基(ぎょうき)が滝に打たれて修業した聖地でもある。
山頂には昭和4年(1929年)に開園した生駒山上遊園地があり、大正7年(1918年)に開業した日本最古の近畿日本鉄道生駒鋼索線(ケーブルカー)が山頂と山麓を結ぶ。
筆者のおススメは、生駒山頂から一つ下ったところにある『霞ヶ丘駅』。雑木林に囲まれた霞ヶ丘駅は眺めが良く、眼下に広がる市街地を見ながら秘境ムードに浸ることができる。周りには人家はなく、50畳のヨガルームを完備したヨガセンターがぽつんとあるだけ。いったい、何のためにある駅なのかわからない。
まるで霞を食べて生きている仙人が利用しているような辺境の地にある『霞ヶ丘駅』だが、ここから歩いて約30分のところに、さらにおススメのスポットがある。日本最古の霊場とされる薬師山鶴林寺(旧鶴林寺跡)だ。
役行者が開いたとも、行基が開いたとも伝えられる寺で、役小角が祈願した際に薬師如来が現われたとされている。『霞ヶ丘駅』から旧鶴林寺跡へは起伏がなく、歩きやすい山道だが、ほとんど人が通らない道なので夏場だと草が生い茂り、歩行が困難な場所もあるから気をつけたい。マムシに注意する必要があるだろう。イノシシも突進してくるかもしれない。
旧鶴林寺跡へは生駒山頂から整備された階段が続いているが、ほとんど人に知られていない『霞ヶ丘駅』からのルートが不気味な雰囲気を味わえるので廃墟好きな方にはおススメのコースだ。
異次元の空間にでも紛れ込んだような山道を歩いていると、鬱蒼と茂った山林の中に怖ろしく不気味な鳥居が突然に現れ、ここをくぐると、苔に覆われた巨石が山肌から露出し、薄暗い杉木立の中に小屋や石標、参拝所などが建ち並んでいるのが見える。祠には不動明王の古い石像が祀られ、強い霊気を放つ。鬱蒼とした樹林に囲まれた境内には“薬師の滝”があり、少し南に下った場所には“八大竜王の滝”といった行場があり、独特なオーラを放っている。廃墟そのものといった日本最古の霊場だ。
誰もいないはずの旧鶴林寺跡で、筆者はどこからともなくお経を唱える僧侶の声を二度聞いた。はっきりとした声だが、寺の跡地に近づくとぱったりと消える。小屋や参拝所をのぞくが、誰の姿もない。だが、寺から離れると、お経を唱える僧侶の、テノールがかった深みのある声が、はっきりと聞こえてくるのだ。ひたむきに修行をする僧侶の声に胸を打たれ、筆者も一緒になってお経をあげたかったのだが、あれはいったい、何の声だったのだろうか。
生駒山には鬼が住み、役小角が鬼を捕らえて改心させたという。そんな伝説の残る生駒の山頂にある遊園地では、昭和4年の開園当初に造られた鉄骨で組まれた高さ40メートルの飛行機型が今も現役で廻り続けている。現存する大型遊具としては日本最古だという。
しかし、かつては人気だった山頂遊園地も今は寂れてしまい、冬季は長期で休業というのが現状。お化け屋敷は閉鎖となった施設の一つだが、不気味に扉を閉ざした屋敷では“本物”が出るという噂だ。
生駒山からの眺望は良く、ハイキングコースとしても人気の場所。秘境駅の『霞ヶ丘駅』に降り立ち、日本最古の霊場をめぐり、生駒山上遊園地までの散策を楽しまれてはいかがだろうか?
夜ごと霊を乗せた“最終列車”が…。奈良と大阪を結ぶ『旧生駒トンネル』
草が生い茂るホームの跡地。廃虚のホームの果てには、重厚なレンガ積みのトンネルが、ぱっくりと暗い穴を開けている。まるで骸骨の眼窩(がんか)のような不気味さが漂う。これは1914年(大正3年)に完成した旧生駒トンネルで、写真は大阪側の坑口。背後に見えるのが生駒山だ。この裏側に、さきほど紹介した日本最古のケーブルカー『霞ヶ丘駅』がある。
旧生駒トンネルは1964年(昭和39年)に使われなくなったが、奈良県側は今も「近鉄けいはんな線」のトンネルとして使われている。改修が行なわれているとはいえ、約100年前に造られたレンガ造りのトンネルが現在も使用されているというのは驚きだ。イギリス工法と呼ばれるレンガ積みのトンネルは近代建築として高く評価され、近代化産業遺産に認定されている。
ところで、写真の右側、ホームに鳥居が建っているのを奇妙に思われた方は多いのではないだろうか?鳥居の左には祠があり、そこには三体の地蔵が安置されている。トンネル工事で犠牲となった作業員の霊を慰める慰霊碑だ。
旧生駒トンネルは湧き水など難工事となり、大規模な落盤事故が発生。当時、多くの朝鮮人労働者が作業に当たっていたが、約150人が生き埋めとなり、このうち多数の犠牲者を出した。過酷な労働を強いられ、どれほど無念だったことだろうか。
だが、旧生駒トンネルの惨劇はこれだけにとどまらない。1946年(昭和21年)4月16日にトンネル内で奈良行きの車両から火災が発生し、大勢の方々が亡くなった。翌年もトンネル内の火災事故で多くの方々が負傷。さらに、2年後にはトンネルを走行していた急行列車のブレーキが破損し、暴走した列車は追突事故を起こし、49名が死亡、282名が負傷するという大惨事も起きている。生き埋めにされた苦しみや恨みが残っているのだろうか…。
その後、幽霊を見たという噂が多く囁かれるようになった。廃虚となったトンネル坑口やホームにたたずむ人影。使われなくなったホームに事故で亡くなった大勢の人々が立っているというのだ(筆者も廃墟のホームで人に言えない奇怪な体験をしたことがある)。
さらに、深夜に乗客がまばらとなった奈良行きの最終電車に異変が起こるとの噂も流れた。電車がトンネル内の坂を登り切るころ、乗客がいないはずの車内が突然に満員電車に変わり、窓に無数の人影が映る。満員電車は車外からも目撃された。
噂では、幽霊話しに対応を余儀なくされた電鉄会社が、最終電車の後に回送電車を走らせて解決を図ろうとしたが、これが事態をさらに悪化させることに。なんと誰も乗っていないはずの回送列車にまたしても満員の人影が…。恐怖の戦慄。そこで、時刻表に架空の最終電車を記した。つまり、実際に走ることのない最終列車を、旧生駒トンネルに走らせたのだ。すると、これをきっかけに、奇怪な目撃談は聞かれなくなったとか。
決して走ることのない「最終列車」は今も旧生駒トンネルを走っているのか…。自分の家に帰ろうとして、今夜も幽霊列車にたくさんの乗客が乗り込んでいるのかもしれない。
奇怪な岩山、防空壕に宿る霊魂?『どんずるぼう』(奈良県香芝市)
生駒山から南へ約10キロの場所にあるのが、万葉集で詠まれた二上山の麓にある屯鶴峯(どんづるぼう)。雪のように真っ白な凝灰岩の層が幾重にも波打ち、独自な奇岩が連なる。白い岩は1500万年前に起こった二上山の噴火によって生み出されたもので、松林にたくさんの鶴が屯(たむろ)しているように見えるため、“屯鶴峯”と名づけられ、奈良県香芝市にある。
石器時代に矢じりなどに使われていた固い石(サヌカイト)が採れる場所としても知られる屯鶴峯だが、ここは第二次世界大戦末期、陸軍が大規模で複雑な防空壕を造った場所でも知られている。本土決戦を目前に、陸軍が航空部隊・航空総軍の戦闘司令所を建設したのだ。防空壕の一部は現在、地震予知研究センターとして使われている。
筆者は小学生のころ、この屯鶴峯でよく遊んだものだった。かくれんぼをしていて防空壕とは知らずに穴に入り、入り口付近でひっそり息をひそめていたところ、突然に後ろから肩をぽん、ぽんとたたかれた。友だちかと思って振り返るが、誰の姿もいない。光は入り口から数メートル奥まで差し込み、その奥は真っ暗な闇が続いているばかりだ。すぐに振り向いたので、闇の奥にまで隠れる時間はないはずだ。その後、闇から話し声がひそひそと聞え、恐怖のあまりに飛び出したが、このことは誰にも言わなかった。今、書くのが初めてのことである。
防空壕の建設には多くの朝鮮人労働者が作業に当たっていたとも聞く。旧生駒トンネル同様に、ここでも落盤事故があったのだろうか…。
あの暗い防空壕は異次元への入り口なのかもしれない。この屯鶴峯では軍人の霊や、子どもの霊、あるいは自殺者の霊などが出るとの噂が絶えない。夕暮れになれば人影もなく、実に不気味な場所だ。
風雪に晒され、顔が溶けかかった謎の仏像群『壺坂寺・五百羅漢像』(奈良県高取町)
二上山からさらに南西に行くと、1400年前に都があった明日香村がある。飛鳥時代の貴族・蘇我馬子(そがのうまこ)の墓とも伝えられる石舞台古墳や、聖徳太子の生誕地とされる橘寺(たちばなでら)がある村だ。
この明日香村の隣町に「壺坂寺」(つぼさかでら)と呼ばれる異国情緒が漂う寺がある。奈良県高取町にある寺で、先代の住職がインドでのハンセン病患者への救済を行い、その返礼として贈られた高さ約20メートルの大観音像がそびえている。南インドにある3億年前の石を使い、延べ約7万人の石工たちが造ったという壮大なものだ。
この壷阪寺から、日本最大の山城である高取城跡へ続く山道にあるのが、写真の五百羅漢(らかん)像。岩肌に刻まれた壮大な無数の仏像に圧倒される。仏像は風雪に晒され、目や鼻、口もなく、溶けかかったように崩れ、今にもうめき声が聞こえてくるような、ぞっとするような戦慄が背筋を走る。
この五百羅漢像は、壺阪寺の奥の院とも呼ばれる神聖な地だが、1600年前後に刻まれたというだけで、いったい誰が何の目的で作ったのかわからない。羅漢というのは阿羅漢の略称で、釈迦の弟子のこと。煩悩をすべて超越して最高の境地に達した聖人を意味する。日本では戦災などで多くの人命が失われた時に、その霊を慰めるために五百羅漢が作られた。関ヶ原の合戦で戦死した多くの霊を慰めるために作られたのだろうか?いったい誰が、どんな想いでこの仏像群を刻んだのだろう。
仏を刻んだころは精悍で、穏やかなお顔だったと思われるが、長い歳月に削られ、どろどろに溶けた姿は、たまらない恐怖。こうした五百羅漢が山奥に沿って、ずらりと刻まれているのだ。案内標識はなく、訪れる人もほとんどいない。雑木林や枯葉に包まれた五百羅漢は苔に覆われて、ひっそりと静か。おそらく、世界でも類を見ない、多くの謎に満ちた恐怖の仏像群だと思われる。
筆者が初めて訪れたのは学生時代で、五百羅漢の上で人の気配を感じ、見あげると白い服を着た少女が立っていた。顔は長い髪に隠れて、見えなかった。少女はくるりと背を向け、雑木林の中へと入って行った。心の針が大きく振れた。
心霊スポットでも知られる日本最大の山城『高取城』(奈良県高取町)
壺坂寺の五百羅漢像で出会った小さな白い影法師のような少女を追いかけ、途中で見失いながら山道を抜けて辿り着いたのが高取城(奈良県高取町)。美濃岩村城(岐阜県)、備中松山城(岡山県)と並ぶ日本三大山城の一つに数えられる。高取城は高さ583メートルに築かれた日本最大の山城で、城郭は周囲約30キロメートルにも及ぶ。想像を絶する広さだ。
明治時代に天守閣は取り壊されたが、今も壮大な石垣が残り、精密に積み上げられた巨石はまるでインカ帝国の遺跡のよう。植物の根が石垣の隙間に入り込み、宮崎駿監督のアニメーション作品『天空の城ラピュタ』を彷彿させる。まさしく、廃虚だ。高取城へと向かう山道の途中に“猿石”と呼ばれる石像があり、これは明日香村から運ばれて来た石像ではないかと推測する歴史家もいる。高取城の石垣は、いったいどこから運ばれて来たのか。実に謎の多い巨大な山城だ。
高取城は、南北朝時代に高取の豪族、越智氏が築城したのが始まり。その後、1580年に豊臣秀長の重臣、本多氏によって近世の山城として築城された。江戸末期には、幕府に反旗をひるがえす天誅組約1000人から襲撃されたが、わずか200名の守備隊で撃退。まさしく難攻不落の山城なのだ。本丸跡からは雑木林の向こうに吉野や大峯の山々を眺めることができる。秋の紅葉や初夏の新緑が美しいところでもあるので、壷阪寺から高取城までのハイキングを楽しむのもいいだろう。
高取城の天守閣跡地で、五百羅漢像で出会った白い服を着た少女が木陰に寄りそって立っているのに気づいた。彼女は白い服を着ているばかりでなく、手足を白い包帯で巻いていた。
どうしたのだろう。全身、大やけどを負ったのか。それとも皮膚の病気なのか。
その幼い身体に加わった過酷な運命が生々しく感じられ、抱きしめたい気持ちでいっぱいになった。
白い少女に近づいた。顔がなんだか、変だった。よく見てみると、少女の顔に目や鼻、口はなく、のっぺらぼうだった。驚いてなぜか後ろを振り向くと、昼間だった世界が突然に夜になり、あたりは真っ暗になっていた。少女の姿はどこにもなく、深い闇が広がるばかりだ。
日本の昔話では、キツネやタヌキなどの動物が人を驚かせるために、のっぺらぼうに化けたといわれるが、あれは何だったのか、いまだにわからない。あれから何度か高取城に訪ねているが、あの少女に会ったのは一度きりだけだ。
おわりに
心霊や妖怪(ようかい)というのは、不可思議な力を持つ非日常的な存在。もののけ、妖(あやかし)、魔物(まもの)とも呼ばれる。
人の知恵が及ばない「物」という存在。物ごころ、物のはずみ、物忌み、物の怪。この物とは人の中に宿り、時には人を滅ぼす。心霊とは自分の心に宿る物の怪の投影なのか。
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