奈良の心霊スポット「白高神社(防空壕)」の場所・行き方は?

2021年4月4日

奈良の心霊スポット「白高神社

「白高神社(防空壕)」の場所・行き方は?

「白高大神」は奈良の最強心霊パワースポット

「平将門の首塚」「安井金毘羅宮」「北野天満宮」。“日本三大怨霊”などと呼ばれる心霊スポットなど数多くのミステリースポットを訪れてきたが、奈良県の廃神社「白高大神」(奈良県)ほど怖い場所はなかった。

「狩野英孝の行くと死ぬかもしれない肝試し」や、稲川淳二が訪れた場所としても有名なスポット。

この狐は本当に怖かった。魂が宿っていた。遠くから私が来るのをじっと見ていた。心にずしんと響いた。だが、私は素直な心で向きあった。

「白高大神」の最深部に防空壕跡

十六歳の少女が悪霊に取り憑かれる

「最深部に防空壕跡(富雄の防空壕)があり、そこで十六歳の少女が悪霊に取り憑かれ、行方不明になった」など、事故や事件に巻き込まれる「怨念」「怨霊」「祟り」の危険スポットとしても知られている。

読み方は「しらたかおおかみ」

教祖「中井シゲノ」が開いた玉姫教会の滝行修行場

「白高大神」の読み方は「しらたかおおかみ」。場所は、奈良県奈良市大和町。教祖「中井シゲノ」が開いた玉姫教会の滝行修行場。今でも信者さんがお参りに来ている痕跡が感じられる。奈良県、いや日本国内でも最強レベルの心霊スポット「白高大神」をご紹介します。

「白高大神」の場所・行き方は、地図の通り。

場所(住所)は、奈良県奈良市大和田町

場所(住所)は、奈良県奈良市大和田町。のどかな集落から狭い農道を通り、会員専用の池(釣り池)のほとりに、「白高大神」がある。入り口には、崩れかかった家屋も見られる。

場所は、奈良県大和郡山市と、近鉄富雄駅の間。富雄川沿いの大阪府道・奈良県道7号(枚方大和郡山線)から大和田町へ入り、農道を進んだ突き当りにある。

行き方・アクセスは、最寄りのバス停から徒歩がベスト

道幅は狭く、軽自動車でも対面通行は不可。「白高大神」の付近は駐車場スペースがほとんどなく、釣り池に訪れる人が駐車に使っているので、「白高大神」の間近まで車で行くことは絶対おすすめしない。トラブルのもとになる。

行き方・アクセスは、最寄りのバス停から徒歩がベスト。

「呪われる」「悪霊に取り憑かれる」

「白高大神」は以前から知っていたが、行くことが怖かった。「呪われる」「悪霊に取り憑かれる」というよりも、交通事故や事件にまきこまれるという噂の方が怖かった。海外ではバイクにも乗っているし、ただでさえ事件に巻き込まれることが多いからだ。

だから、これ以上、悪霊に憑かれるのはごめんだ。たいへん興味はあったが、冷やかしや遊び半分の気持ちで行くのは止めておこうと思っていた。

きっかけは、遊廓建築

ところが、なぜだかわからないが、最近になって、遊廓建築、遊廓街に何か強く心に惹かれるものがあった。大阪の飛田新地(飛田遊廓)をまわり、奈良県大和郡山の遊廓建築を撮影した。

吉原遊郭などは江戸時代から歴史が続いているが、現存する大正時代の遊廓建築は東京の吉原遊廓はすでになく、大阪の飛田新地や大和郡山市に残るだけ。大正時代の貴重な木造の遊廓建築は、いつ壊されるかわからない(すでに大和郡山では2020年に4件が解体)ので、今のうちに写真を撮ろうと思ったからだ。

遊廓建築の歴史

遊廓建築の写真を撮っているうちに、考え方が変わってきた。

遊廓街は、1958年の売春防止法施行後は、売春は禁止されているが、実はその後も続けられていた。飛田新地や生駒新地などは特殊な地域性が強く、現代も売春が行われているが、横浜などでは2000年ごろに一斉の摘発が行われ、完全に消滅した。

東南アジアの女性が遊女に

奈良県大和郡山市の遊廓街(洞泉寺、東岡)でも2000年ごろまで、フィリピンやベトナム、タイなどの女性が遊女として売春していたが、全面的に摘発。東岡の遊廓街は建物の老朽化が激しく、空き家となっているため、強制的に解体された。

今あるうちに写真に撮っておきたい

そんな儚さを感じながら、訪れたのが「白高大神」だった。「白高大神」にしても、いつ土砂崩れや山火事、あるいは危険ということで行政が解体を行うかもしれない。

それなら、今あるうちに写真に撮っておきたい。そうした気持ちが急に沸き起こってきた。「白高大神」は、大和郡山市の遊廓建築(町家物語館)から車やバイクで約10分と近い。

「何かに呼ばれた」

私は日本にスマホを持っていないので、自宅のパソコンでだいたいの場所だけを見てからバイクで行った。行けなかったらそれでもいい、むしろその方がありがたいとさえ思っていた。

しかし、すんなりと行くことができた。

ただ、なんとなく。なんとなく、だ。

この先になんかありそうだ。感覚だけを頼りに進んだ。ここだろうと思ったら、なんと「白高大神」の入り口だった。

「何かに呼ばれた」と、私は思った。

「白高大神」の入り口

ここが「白高大神」の入り口。

驚いたには、付近にある池が、会員制の釣り池ということ。心霊スポットに関係なく、高齢男性がのんびり釣り糸を垂れている。

ここが心霊スポットということを知らない人が多い。ネットを見ないので、まったく知らないのだ。

「白高神社」を訪ねて

農道はどこでもあるような景色だった。東北でも九州、関東でも見たことがある、平凡な農村の風景。

農道が水路に沿って続き、畑の中を進むと、左手に土手が見えた。もしかしたら、これが「白高神社」の手前にある池では、と思った。

バイクを止めて土手に上がると、池が見え、湖畔に石の鳥居が見えた。ここが、「白高神社」だった。

一の鳥居

石造り鳥居の前(一の鳥居)で礼拝する。額には、しっかり「白高大神」と刻まれている。呼ばれたのだ、と思った。

池は釣り池になっていて、数人の高齢男性がラジオを流しながら釣り糸を垂れている。のどかな風景だ。

赤さびた鳥居

湖畔を参道が奥へと伸びている。続いて、赤さびた鳥居が見えた。ここの鳥居は鉄製。朱色の塗料が剝がれている。恐ろしい雰囲気が漂っている。

礼拝して鳥居をくぐる。

廃屋

しばらく歩くと、右手に小屋が見える。手前には小さな小屋があり、ここはトイレだ。白い便器が見える。

上階の小屋はかなり傷みが激しく、朽ちかけている。布団なども見える。写真を撮るのはためらわれた。誰かの生活をのぞきみるような、いやな気持になった。

強烈な霊気

石の階段が続き、その奥には塚がある。階段を登るのはためらわれた。強烈な霊気を感じる。

聖域へ

さらに進んで行く。赤い鳥居が並んでいる。いよいよ聖域に近づいた。春の日差しがやわらかい、天気のいい日で、緑が美しい。だが、自然を楽しむ気持ちに離れなかった。

道が二手に分かれる

赤さびた鳥居を進むと、道が二手に分かれる。右に行けば、奥にある滝寺(廃寺)。左が「白高大神」の神域へ。

教祖「中井シゲノ」を祀った祠

赤い鳥居の連続は、拝殿に続いている。手前にあるのが、教祖「中井シゲノ」を祀った祠。

拝殿

小さな拝殿があり、奥にはお塚が並んでいます。たいへん神聖な場所。最初は踏み込むのがためらわれました。しかし、熱心に祈りを捧げ、聖域に入りました。

ただならぬ気配

ただならぬ気配に、背中がぞっとします。

テレビで霊能者が、中国風の宮廷で、高貴な3人の女性の霊が見える、と言っていた場所。それは後で知ったことですが、たいへん位の高い霊魂を感じました。

信者さんの気配

拝殿の後ろにあるお塚。廃寺でありながら、誰かが訪れて綺麗に清掃しているように感じました。

心霊スポットと呼ばれ、しかし、今も信仰を捧げる人がいることに心が痛むと同時に、敬意を払います。

白狐の悲しみ

神聖な空気に触れました。驚いたのは、お塚の前にある2対のキツネ。

右にあるキツネは首がありません。左のキツネには強い殺気を感じました。

口を開けて、強烈に威嚇しているのを感じます。怖かった。けれど、私はじっと見つめた。逃げなかった。近づいた。悲しみが感じられた。

奥へ、奥へ

さらに参道は奥へと続いています。赤い鳥居が並び、奥へ、奥へと続いています。

そこは、最も神聖な場所。滝行の場所。

結界

赤い鉄の柵が壊れ、地面に倒れています。おそらく、結界だったしるし。

小屋

手前にある小屋は、おそらく白装束に着替えるための小屋。修験道の滝場ではよく見かけます。

石橋

小さな石橋を渡ると、そこは「白高神社」の最深部。

滝行の聖地

右手に滝が見えます。心地よい音を立て、勢いよく水が流れています。これは自然にできた場所。ここを滝行の聖地に選んだのでしょう。

観音菩薩

この滝行の地では、観音菩薩を祀っている。

防空壕跡

小さな橋を渡ると、そこは「白高神社」の最深部。

大きな塚が並び、右手には洞窟が、髑髏の眼窩のように、黒くぽっかり空いている。ここは昔、防空壕だった場所。いったい、何に使われていたのか。生駒トンネルと同様に、朝鮮人が労働力に使われていたのか。悲しい歴史を感じる。

防空壕跡の静けさ

中は狭く、司令塔にも使えない。この防空壕は何のために使ったのか。手彫りの痕跡が、洞窟内に見られる。

中を覗くのも、入るのもためらわれた。しかし、洞窟の前で祈りを捧げた。

静かだ。とても静か。

背中に何者かの視線

私は写真を撮った。さっきからずっと、背中に何者かの視線を強く感じる。何度も振り返る。

私は言う。「荒らしに来たものではありません。お参りに来ました。できたら、この場所を私は撮影して残したいです」

祭壇

私は撮影した。洞窟の中を。祭壇があり、綺麗に祀られている。誰かが訪れているようだ。その奥にも、ずっと聖域が続いている。

たぶん、目には見えないどこか。

清浄な気配

ザアーと響く滝の音。瑞々しい空気。

清浄な気配。きらきらと水の雫のような清らかなエネルギーがあふれているのを感じる。

白狐のお面

帰り道、一番手前の塚にもお参りした。白狐のお面が奉納されている。お塚の前にはペットボトルが置かれ、確かに誰かがお参りに来ている。

邪悪な魂から守るために

塚の前には、キツネの置物が置かれている。綺麗な姿だ。比較的に新しいものだとわかる。誰かがちゃんと今も、お参りに来ているのだ。

それを想うと、たいへん悲しくなった。ここは、このまま、そっとしておいた方がいい。

だから、心霊スポットの噂が流れたのかもしれない。邪悪な魂から守るために。

湖畔にも滝行跡

帰り道、なんとなく池の湖畔を巡った。奥にも滝があり、修行の場所だとわかる。ここはネットにも書かれていない。写真も見当たらない。

ひっそり静かな聖地だ。ここにもお塚が祀られている。

狩野英孝、稲川淳二

「白高大神」が話題になったのは最近のこと。狩野英孝や稲川淳二が訪れ、広く知られるようになった。おもしろおかしく、怖い場所として取り上げ、視聴率稼ぎ、お金稼ぎにつかっているやつらはうさん臭く、好きになれない。

だが、自分も似たようなものじゃないか。

そうした負い目が、この廃神社を自分から遠ざけていた。

今も信者さんたちが…

ここを自分自身の撮影で記録しておきたい。いま、そうした強い信念があった。

もともとは、信仰の地。聖地。ここを大切に守っていた信者さんが確かにいた。そして、今もお供え物が捧げられている。

その姿を見ると、本当に悲しくなった。かつて自分が過ごした家。家族との記憶。今は荒れ果てて、心霊スポットになっても、その人にとっては大切な聖地。だから、その聖地を踏み荒らしたくない。

擬死再生

自分もやがては死ぬ。死は怖い。だからこそ、妙に惹かれるものがある。死を垣間見ることによって、自分の生を再認識する。

修験道の修行では、絶壁から吊り下げられるなど、死に迫る修行をして、生まれ変わる修行は「擬死再生(ぎしさいせい)」と呼ばれている。滝に打たれるのも、修行の一つ。

そうした山岳宗教の精神が、「白高大神」にも見られる。修験道の開祖、役小角ゆかりの地は付近にたくさんある(生駒市の鬼取町など)。そうした原始的な信仰の流れをくむのが「白高大神」だった。

「滝」にゆかりのある聖地

矢田山の丘陵地にある「白高大神」の背後には、「滝寺」という廃寺があり、磨崖仏と呼ばれる石仏がある。

「滝」にゆかりのある場所なのだ。瀧寺は古代、大きな寺院だったようで、会員制の池も、「瀧寺池」と呼ばれている。

また、近くには「霊山寺」(りょうせんじ)がある。霊山寺の奥院には、龍の神が棲んでいる。薔薇の庭園でも知られている。

天平8(736)年、聖武天皇の勅命で、行基が建立し、バラモン僧の菩提僊那が地形がインド霊鷲山に似ているところから、霊山寺と名づけられた古寺だ。行基の墓の「竹林寺」にも近い。

お参りしたい

創始者で教祖の「中井シゲノ」も、何かの霊気を感得して、行基の墓や霊山寺にも近い、聖地に「白高大神」を祀ったのだろう(後に夢のお告げが中井シゲノにあったことを私は知る)。

私はお参りしたい、と思った。鳥居や石仏、お塚の一つひとつに、両手を合わせて祈った。

一の鳥居

写真は、一の鳥居。裏側には、「宗教法人 玉姫教会」「教祖 中井シゲノ」という名が刻まれている。

「中井シゲノ」とは、白高という白狐の神が夢の中で降臨したことを受け、大阪の安居神社(真田幸村の終焉の地)に住み、付近にあった玉姫稲荷社(玉姫教会)を守護していた巫女のことだ。

安居神社、天王寺

安居神社周辺は、“天王寺”と呼ばれ、聖徳太子ゆかりの地。すぐ近くには、有名な「四天王寺」があり、推古天皇元年(593)に聖徳太子によって建立された。天王寺とは、「四天王寺」の略称として平安時代から使われていた。

恋愛のパワースポットとして知られる“縁結びの愛染(あいぜん)さん”も近く。愛染さんというのは、「勝鬘院」(しょうまんいん)のことで、593年に聖徳太子によって建てられた寺院。もともとは薬草を植えて、病気に苦しむ庶民たちを救う「施薬院」として建てられたもの。日本で最初の社会福祉施設とされている。

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天王寺村の巫女集団

かつて、天王寺村には、巫女集団が住んでいた。

この巫女集団(玉姫教会)については、堀一郎著『日本のシャーマニズム』(講談社現代新書)が詳しい。

巫女集団は、聖徳太子の流れを伝えるとも、小野文観(おのもんかん)の立川流の流れをくむとされている。

「中井シゲノ」の定住地

文観というのは、「文観房弘真」(もんかんぼうこうしん)のことで、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての僧侶(真言律僧・真言僧)だ。

「中井シゲノ」は、これらの巫女集団に定住地の雰囲気を感じ取り、信仰心を深めていった。

「中井シゲノ」とは?

「中井シゲノ」については、アンヌ・ブッシイ著『神と人のはざまに生きる―近代都市の女性巫者』(東京大学出版会)にも詳しい。

アンヌ・ブッシィはフランス人で、安居天神に住み、玉姫稲荷社を守護していた「中井シゲノ」に会った。

稲荷の霊力を持つオダイ

「中井シゲノ」は、稲荷の霊力を持つオダイ(霊能力を持った巫女)である。巫女(みこ)とは、主に日本の神様に使える女性のこと。「舞姫」(まいひめ)とも呼ばれる。神がかった心霊パワーを持ち、加持祈祷、神様のお告げをする女性だ。

平安時代の武将、平将門は、「新皇」を名乗ったが、仏教の守護神「八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)」の遣いを名乗る巫女から、将門に天皇の位を授けると告げた。

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オダイとは、「台」「代」

オダイとは、漢字で「台」、または「代」と書く。「神様の乗り物」「神様の依り代」という意味がある。

「中井シゲノ」の経歴とは?

「中井シゲノ」は、明治36年(1903年)9月1日に、奈良県の農家に生まれた。「中井シゲノ」は、巫女の家系だったようだ。

以下は主な経歴。

8歳で降臨、13歳でシャーマンの修行

1916年(13歳)…母親を亡くす。母親を亡くした悲しみのあまり、大叔母で巫女(オダイ)のヤエのもとでシャーマンとなる修行する。

大叔母のヤエは、京都・伏見稲荷大社の白狐を守護神としていた。

「中井シゲノ」は、大叔母の才能を受け継ぎ、8歳で神が降りるという体験もしていた。

22歳に失明、滝行で修行

1922年(19歳)…農家に嫁ぐ。長女、長男をもうける

1925年(22歳)…幼い長女に目を蹴られ、不幸なことに失明する。

目が見えなくなった「中井シゲノ」だが、観音菩薩を祀っている滝壺で修行するようになる。この滝は、霊験あらたかな滝であり、かつて皇子が、目の病気に苦しむ皇后の目を霊水で洗ったところ、目の病気が良くなったという伝承があった。

24歳に霊能力を体得

1927年(24歳)…昭和2年5月17日。滝で修行している時に、“白高”と名乗る白狐が降臨。霊能力を体得した。これまで何も見えなかった目に、明るい光や色が映るようになった。

“白高”による夢のお告げ

“白高”が、「中井シゲノ」に語った内容は次の通り。

「自分はかつて稲荷山の二之峰の眷属(けんぞく)であった白狐である」

※眷属とは、一族の者という意味

「白高の名の下に修行をしていたが、雌鳥を食べるという愚かな行為をしてしまったため、琵琶湖の北の竹生島に流された」

「竹生島では、弁天龍王を祀っていた。島での生活はつらいものだった」

「だが、ようやく3年後に二之峰に戻ることを許された」

「しかし、良い思い出のない場所に戻るよりも、新しい地へ行こうと旅を続け、大和の滝寺に巡り着いた」

「その時、滝で修行をしている目の見えない女に興味を持ち、自らのオダイに選んだ」

「中井シゲノ」は、白高を持つ、初めてのオダイとなった。

白高の謎とは?

さらに、「中井シゲノ」は、次のようなことも知った。

「白高は、もともとは茶色だったが、白狐は位が高ければ高いほど白くなる」

「白高は、神様の中でも若い方で、大神ではなく下位の神であること(中井シゲノが白高大明神と呼んだ時、白高法師と呼ぶように訂正されたという))

「永遠の命を持つ神様ではなく、およそ300年の寿命であること」

「神様の年齢は、白狐が300年、蛇が500年。歳の差に応じて位も決まる」

「神様の年齢は、神が人間に初めてその姿を現した日から数える」

「修行を積めば、お坊さん、神主といった学識も深く社会的地位も高い特別な人によって崇めれられる」

「優れた人と交わりを持つことで、神様の位も高くなる」

「出現した時期が早ければ、位が高い」
「稲荷山の主峰の末広さん、青木さん、白菊さん、権太夫さんは『尊』にあたる。しかし、眷属は神様のお使いであり、『尊』になるために修行している」

49日の法要後に、魂が解き放たれる

「中井シゲノ」が、アンヌ・ブッシィに語ったところによると、

「この世には、ニセの神様も存在し、そうしたニセの神様を祀ることで、悪霊に取り憑かれ、病気にかかって死んでしまう」

「人は49日の法要の後に、死後の世界から魂が解き放たれ、神様になる」「功徳があった人々は偉大な神になる」

「中井シゲノ」の守り神、「玉姫」とは?

さらに、「中井シゲノ」には、守り神が存在し、「玉姫」という名前だという。

「玉姫は、大神の『尊』」という位。つややかな長い黒髪に、銀の大きな簪(かんざし)を付け、長袖の紫の着物を着ている」

「“白高”は、自分の霊力が足りないことを語り、自分より位の高い“玉姫”にシゲノの守護神になるように取りはからった。

31歳、再び夢のお告げ

「中井シゲノ」は、その後も滝行を続ける。次女も誕生。しかし、3年後に夫を事故で失くすという不幸に見舞われる。「中井シゲノ」が、26歳の時だった。

1934年(31歳)…昭和9年9月9日

再び、“白高”から、夢のお告げを受ける。

「玉媛大神の膝元に来れば、幸せの道に入れる。3年修行をすれば、子どもとともに暮らすようにしてやる」

奈良から大阪へ、安居神社の玉姫社を見つける

この夢のお告げを受け、「中井シゲノ」は、なけなしのお金を持って大阪にひとりで来た。夢に出てきた神社を、タクシー運転手と一緒に探す「中井シゲノ」。

ようやく見つけた神社が、安居神社と、境内にある玉姫社だった。

安居神社の宮司さんに、これまでの人生や、白高のキツネ、夢のお告げを話すと、宮司さんは、現在は氏子がいなくなった「玉姫社」を、「中井シゲノ」に譲ることを約束。

安居神社には、「玉姫稲荷神社」が

今も、大阪の安居神社には、「玉姫稲荷神社」があり、白高大神を祀った玉姫教会のお塚跡が見られる。

お塚とは、信仰の依りどころとして自然石などを置いた石碑のこと。京都の伏見稲荷大社では、稲荷山に数えきれないほどのお塚が見られる。

33歳、玉姫稲荷社のお守り役に

1936年(33歳)。昭和11年。「中井シゲノ」は、故郷の奈良を離れ、大阪の安居神社にある玉姫稲荷社のお守り役になり、加持祈祷を行い、子どもたちと一緒に暮らした。

「中井シゲノ」の霊能力

安居神社に定住。修行する一方、玉姫社の信者は増えていった。

信者には、芸者さん、料亭などの女将さん。「中井シゲノ」は、信者さんの悩みごとをピタリと当て、的確なアドバイスを与えた。次第に戦争色が濃くなり、不安に駆られた政治家や官僚、会社経営者も、「中井シゲノ」を頼って通うようになった。

36歳、京都・伏見稲荷大社の特別講社に

1939年(36歳)…昭和14年。玉姫教会は、京都・伏見稲荷大社の特別講社になるまで発展。戦争、戦後の混乱の中で、「本物の神の言葉を聞ける巫女」として、「中井シゲノ」の名声は高まっていった。

『白高大神』も祀られることに

その一方、奈良県奈良市の『白高大神』は、玉姫教会の滝行の修行場として開かれた。もともと、「中井シゲノ」が大阪に来る前に、滝行修行を行っていた聖地だ。

病気に苦しむ人。人間関係、仕事など、生きることに苦しむ人たちに対し、「中井シゲノ」は霊力を通して悩みごとや苦しみを解決し、信者はますます増えていった。

「中井シゲノ」の霊能力

「中井シゲノ」の霊能力は、ずば抜けていたようで、アンヌ・ブッシィが京都・伏見稲荷大社の神官に尋ねたところ、「中井シゲノに会えば、他のオダイに会うには及ばない。彼女のようなオダイはもういない」と発言。

「中井シゲノ」の存在は、稲荷大社の総本山、京都・伏見稲荷大社まで轟かせていました。

61歳、伏見稲荷大社の大阪南支部に昇格

1964年(61歳)。昭和39年には、玉姫教会は、京都・伏見稲荷大社の大阪南支部に昇格。しかし、その後、次第に信者が減少。

89歳、中井シゲノ逝去

1991年(89歳)…「中井シゲノ」が逝去。平成3年7月8日のことだった。今、その魂はどこにあるのだろう。

また、そのころの信者さんたちはどうされているのだろう。信仰の拠りどころとした『白高大神』は廃墟となり、廃れ、悲しみばかりが残る。

「白高大神」の弁天龍王

「白高大神」の近くには池があり、弁天龍王が祀られている。龍の頭は霊山寺に向けられ、しっぽは玉姫教会の方向を向いている。

弁天龍王は、池の守り主。ため池は、田畑を潤すためにあるが、ほとんどその役目を果たしていない。

必要とされなくなった池は、今や釣り池となり、田畑が消え去りつつある今、池の水への感謝の気持ちも薄れ、水への恩恵も忘れてしまったようにも見える。

「中井シゲノ」の霊は今

「中井シゲノ」の霊は今、どこにいるのだろう。

安居神社にあったお塚や、玉姫教会ゆかりの神々は、「中井シゲノ」が逝去したのち、すべて奈良の「白高大神」に移された。

「白高大神」には、たくさんの塚があるが、これらはすべて安居神社から移されたものだ。

有名なシャーマンといえば…

シャーマンといえば、東北地方のイタコ、関東地方のイチコ、沖縄のユタ・ノロが有名だ。

日本人女性で有名なシャーマンといえば、天理教教祖の「中山ミキ(1798〜1887)」、新宗教「大本」の教祖「出口なお(1837〜1918)」、天照皇大神宮教の教祖「北村サヨ」(1900〜1967)などが知られている。

「隠れシャーマン」「シャーマン教」

日本には、精霊崇拝があり、信仰心を持っている人が多い。無宗教が多いとされる日本人だが、そうではない。

「隠れシャーマン」というか、「シャーマン教」と呼ぶべきか、「既存の宗教にとらわれず、あるいは家系の宗教にとらわれず、自分の信じたいものを信じる」という人たちだ。日本古来の山岳宗教がこれに当たる。

役小角を開祖とする修験道だが、聖地の大峯山(奈良県天川村)では、多くの人々が山上ヶ岳を目指す。どこかの宗派に属しているわけでもなく、「自分の信じたいものを信じる」という人たちだ。

欲望のまま本能のままになりゆきで

最近、AV女優で、偏差値72の学校に所属し、学年でも1番の女性が、19歳でAVデビュー(2020年)した。彼女の名前は、「朝比奈ななせ」。正統派の美少女ルックス。かわいい女性だ。

「朝比奈ななせ」は、「自分に嘘をつきたくない」「欲望のまま本能のままになりゆきでいこう」とAV女優になることを決意したが、これも「自分の信じたいものを信じる」というシャーマン教と同じだろう。

国家も会社も友人も恋人、結婚も信じられない時代にあって、若い女性を中心に今、隠れシャーマンが急増している。

AV女優「朝比奈 ななせ(あさひな ななせ)」AVデビューから現在まで

なぜ、「中井シゲノ」の玉姫教会は荒廃したのか

このような背景を見れば、「中井シゲノ」の玉姫教会は、京都・伏見稲荷大社の強力なご神体があるのだから、天理教のような巨大な宗教組織にまで発展していた可能性は十分にある。

なぜ、「中井シゲノ」の玉姫教会は荒廃したのか。

「中井シゲノ」の子孫は?

巫女の家系に生まれた「中井シゲノ」。子供たちは、母親の意思を受け継がなかったのか。

宗教というのは、巨大ビジネスだ。霊魂を慰めるなどと言って墓石を売り、家のように永代供養といって金を取り、京都などでの寺院は桜や紅葉を売り物して高い拝観料金を取っている。

本来のブッダの教えとは?

ブッダは涅槃に入る直前に、「私の供養には美しい花や音楽はいらない」と言った。寺院を花や音楽で飾り立てるのは、ブッダが望むことではない。

もっと言えば、本来のブッダの教えは、「自分で努力し、修行して苦しみを克服する道」を説いている。

「大乗仏教」として伝わる日本の仏教

しかし、「大乗仏教」として伝わる日本の仏教は、「自分以外の外部の不思議な力によって救われる道」を教えている。

これは、自分で何もできない無能な人間を製造することを目的としている。、何かあればすぐに国や政治家、市役所の責任に転嫁する人間が多い方が、管理しやすいためであり、「大乗仏教」をこれに利用しているのだ。

タイのアユタヤは、いちめんの廃墟だ。桜も紅葉も何にもない、戦争の傷跡をそのまま残すアユタヤの廃墟寺院。それでも、多くの若いタイ人女性たちは信仰に訪れている。

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後継者が現れなかった

「中井シゲノ」は、神の声を聴けた真のシャーマンであり、宗教ビジネスに使いたくなかったのかもしれない。

玉姫教会は、「中井シゲノ」だけの霊能力に輝き、「中井シゲノ」の霊能力がずば抜けて優れていたため、後継者が現れなかったのである。

心霊スポットによって、「中井シゲノ」が復活

ただ、不思議に思うのは、「白高神社」が心霊スポットとして注目されなかったら、「中井シゲノ」の存在も歴史に消えたままだっただろう。

これも、「中井シゲノ」のお導きなのか。「中井シゲノ」の霊力はまだ存在しているようにも感じられた。

改めて「白高神社」をご案内

白狐が浮遊、3人の女官の幽霊

奈良の最強心霊スポットとされる「白高神社」。

神社の最深部には、修行場に使っていた洞窟(富雄の防空壕)があり、冷やかしで来た16歳の女性が、悪霊に憑依されたとの噂がある。

テレビでは、霊能者を名乗る女性が、白狐が浮遊し、中国宮廷の艶やかな着物を身にまとった3人の女官が立っているなどと語っている。

強烈な悲しみ

実際に「白高神社」を訪れて思ったのは強烈に怖かった。というよりも、強烈に悲しかった。かつて信仰していたのに、荒れ果ててしまい、心霊スポットとおもしろおかしく、興味本位で取り上げられている。

Youtubeには、防空壕の果てまで行ってきた、といった内容まで投稿されている。

感じ方は人それぞれ

「白高大神」が怖いスポットなのかどうか、それは人それぞれの感じ方、生き方による。恐ろしい場所ではなく、廃墟化しているが、神社はひっそりとした佇まいがあり、自然に溶け込んでいる姿が美しい、と感じる人もいるだろう。

信仰のために来た

参拝だけなら何ともなかったかもしれないが、私は写真撮影が目的だった。だから、写真を撮っている間、常に後ろから見られている気配がずっとつきまとっていた。私は常に後ろを振り返りながら写真を撮った。

そして、自分がここを荒らしに来た者ではないこと、信仰のために来たのだと、両手をあわせて写真を撮り続けた。

背中を槍で貫かれる感覚

後ろから見る者は、監視でもなく、怨念の目でもない。しかし、歓迎されているわけでもない。

撮影を終えて、私は早くここから去りたかった。バイクに乗って走っている間、私は背中から心臓に向けて、目に見えない槍でつらぬかれている感覚がずっと続いていた。

「正しく生きろ」

それは苦しい、恐怖というものではなく、叱咤激励されているようだった。「ちゃんと生きろ」「まっとうに生きろ」「正しく生きろ」「大丈夫だ。おまえならやれる」といった、励ましだった。

これも人それぞれだろう。ただ、強烈なパワーなのは確かだ。将門の首塚でも、その他のパワースポットでも感じられなかった何か。

満ち足りた幸福感

怖かったのは、夜眠る時だ。明かりをつけて寝ようとしたが、いつものように真っ黒にして眠った。

もしかしたら何か出てくるかもしれない。だが、何も現れなかったし、心霊現象、怪奇現象というものにも遭遇しなかった。

悪夢を見るかと思ったが、楽しい夢を見た。恋愛だったと思う。とても甘美で、やさしい気持ちになった。どんな夢か思い出せない。心も身体も満ち足りたセックスをした後のような幸福感がいつまでも続いた。

「白高神社」が呼んだ

翌日、「白高神社」を書こうと思った。

今思えば、私に何か書かせたくて、私に何かを感じさせたくて、「白高神社」が私を呼んだのかもしれない。

飛田遊廓も同じだ。なぜか突然に、飛田を書きたくなった。コロナで危ない中、西成区の薄暗い商店街を歩き、写真を撮ったが、あれも何かの霊に呼ばれたのだろう。

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心霊スポットに惹かれるのは寂しさ

立ち去る時はもう来ることはないと思ったが、私は今、もう一度行って、ちゃんと参拝したい。そして、背後にある「滝寺廃寺の崖仏」まで歩いて行って、そこもちゃんとお参りしたい。そう思う。

霊も寂しいのだ。人間と同じように。そして、寂しい人間が、心霊スポットに惹かれる。

滝寺(廃寺)にも行きたい

今、とても惹かれているのが、「白高神社」の奥にある、滝寺(廃寺)。

ここには、岩に刻まれた石仏があり、「磨崖仏(まがいぶつ)」と呼ばれる。

奈良県の指定史跡。8世紀の天平時代にまでさかのぼる貴重な遺構であり、奈良公園奥の春日遊歩道にある石仏と同じ年代につくられた。

東明寺の伝承と、「中井シゲノ」の滝行場

さらに、近くには「東明寺(とうみょうじ)」(場所は、奈良県大和郡山市矢田町)があり、持統天皇8年(693年)、天武天皇の子で淳仁天皇の父でもある、舎人親王により開基されたと伝わる寺院だ。

「東明寺」のホームページによると、母親の持統天皇が眼病に悩まされていた時、平癒を祈る息子(舎人親王)は、夢枕に老翁姿の白鬚明神が現れ、「霊山に登って、霊井の水をすくい、母君の眼を洗うように」というお告げと、金鍋を授かった。

舎人親王は、夢のお告げにしたがって、母親の持統天皇を霊水で洗ったところ、目は治癒。この感謝の気持ちを表すため、舎人親王の勅命で建てられたのが「東明寺」である。

寺院建立の時に、授かった金鍋を寺院に埋蔵したことから、山号を「鍋蔵山」(かぞうざん)と呼び、母の目を洗った時に「東の方が明るく見えた」ことから寺号は「東明寺」となった。

まさしく、この霊水こそが、「中井シゲノ」が修行していた滝、「白高大神」の滝ではないだろうか。