禁断の愛と性!ドラマ高校教師「ぼくたちの失敗」と森田童子の死

2018年6月28日

ドラマ高校教師

禁断の愛と性 

教師と生徒の恋愛や性、不倫など、「禁断の愛と性」をテーマにしたテレビドラマや映画、アニメは数多く、どれも新鮮味がなく、手垢にまみれた作品であることが多い。

有村架純が演じるTBSドラマ「中学聖日記」では、一流企業に勤める婚約中の恋人がいながら、不思議な雰囲気を漂わせる男性生徒に惹かれ、すべてを失っていくというストーリーだが、1993年に放送された「高校教師」ほど強く記憶に残るドラマはないだろう。

TBSドラマ高校教師 

教師と生徒の禁断の恋。TBSドラマ高校教師の「羽村隆夫」を演じたのは真田広之、女子高生の「二宮繭」を演じたのは桜井幸子だった。 

二宮繭を近親相姦していた実父を刺し、指名手配された羽村隆夫は特急列車に乗り込み、二宮繭とふたりで自分の故郷である新潟へ向かう。いつか湘南の海で約束したことーー「先生の海が見たい」という繭との約束を果たすために。

死への旅路 

日本海に面した小さな駅。二人は雪景色に凍えそうな新潟の海を見つめる。そこに電車が到着する。二人は電車に乗り込む。

電車は、警察が張り込んでいる駅へと走る。隆夫と繭は寄り添いあい、座席に身体をうずめる。

車掌が「お客さん、コートが落ちていますよ」と言うが、安らかに眠り続ける二人の顔には反応はない。

赤い糸

小指に赤い糸を巻き付けた繭の手が、手すりからだらりと垂れ下がる。電車は暗いトンネルへと入る。

寒さで曇った車窓には、ネコの姿をした隆夫と繭の落書きが白く浮かび上がった。 

ぼくたちの失敗 

“生きもの”の孤独

ドラマ高校教師は、教師と生徒の禁断の恋をテーマとしているが、作品の根底にあるのは、生きものであるがゆえに持つ孤独。誰にもわかってもらえない、という強烈な淋しさだ。

現実に向きあう力はなく、もう傷つきたくはなく、誰にも邪魔されることなく、安らかな眠りを選び、死と引き換えに恋を永遠に成就させる。

それが、「ぼくたちの失敗」であることも、二人は知っている。

「高校教師」の主題歌に 

テレビドラマ「高校教師」の主題歌には、1976年発売のシングル『ぼくたちの失敗』が使われた。

この歌を歌ったのがシンガーソングライター、森田童子(もりた・どうじ、本名不明)。

2018年4月24日に亡くなったが、同じ年の6月になって亡くなっていたことがわかった。66歳だった。

死因は明らかにされていない。

野島伸司が強い衝撃 

ドラマ「高校教師」の脚本を書いた野島伸司は、高校時代に同級生に誘われて森田童子のライブハウスに行き、強い印象を受けた。

1983年に引退 

透明な音質と、つぶやくようなトーク。

学生運動やフォークソングが終わり、ロックが人気を誇った時代に、森田童子は夢や希望ではなく、絶望や憂鬱、孤独を歌い、取り残された感を歌った。

森田童子は、ほとんどヒット曲を生み出すことはなく、1983年に芸能界から引退した。

異例の大ヒット

森田童子を知らず、リアルタイムで聴いた人ほとんどいない、『ぼくたちの失敗』。

1973年に発売された曲が、1993年のテレビドラマに使われ、アルバムとともに急きょ再発売。さらに100万枚に迫るビッグヒットとなったことは異例中の異例だ。

「高校教師」の世界観

「春の木漏れ日のなか……」。細々と歌う切なげな歌声は、ドラマ「高校教師」の世界観(生き物であるがゆえに持つ孤独)に通じるものがあり、「森田童子って誰なんだ」と大ブレイク。

しかし、83年に新宿ロフトでのコンサートを最後に、森田童子は「私は専業主婦です。もう人前に出て歌うことはありません」と語り、表舞台から一切の姿を消した。

素顔

死んだ友人のために 

森田童子は1952年生まれ。東京都出身。

学園闘争が吹き荒れる1970年、友人の逮捕をきっかけに高校を中退。気ままな生活をしていたが、20歳の時に学生運動のなかで死んだ友人ために歌を歌い始める。

この時の友人を歌った歌『さよなら ぼくの ともだち』がデビュー曲となる。

たとえばぼくが死んだら 

カーリーヘアにサングラスというスタイル。コンサートやレコードジャケットでも素顔を見せることはなかった。本名は非公開。実生活や生い立ち語らず、『みんな夢でした』『君と淋しい風になる』『たとえばぼくが死んだら』といった暗い曲がほとんどだった。

強烈な淋しさ

女性シンガーだが、歌詞では、「ぼく」と語り、太宰治も登場。「安全カミソリがやさしくぼくの手首を走る」という歌詞もある。

歌全体にいえることは、強烈な淋しさ。デビュー曲の『さよなら ぼくの ともだち』は、本当は死にたくても死ねない、自分への歌なのかもしれない。 

中島みゆきと同世代

ユーミンたちも 

1952年生まれの森田童子だが、  同世代には、「私は泣いています」のりりィ(1952~2016年)、「圭子の夢は夜ひらく」の藤圭子(1951~2013年)、「時には母のない子のように」のカルメン・マキ(1951年~)、「時代」の中島みゆき(1952年~)、「あの日にかえりたい」の松任谷由実(1954年~)といったシンガーたちがいる。

中島みゆき 

暗い曲、淋しさといえば、札幌出身のシンガーソングライター、中島みゆきも思い浮かぶ。

1975年にシングル「アザミ嬢のララバイ」でデビュー。オリコンにおいて、4つの年代にわたってシングルチャート1位を獲得した唯一のソロ・アーティストだ。

糸 時代 ファイト!

失恋を歌った歌が多いため、“泣きのみゆき”と言われていたが、昨今の若者たちには、応援歌として中島みゆきの歌を感じている人が多い。

 

『糸』『ファイト!』『時代』『二隻の舟』といった人気の歌があり、コンサートの夜会では「言葉の実験劇場」をコンセプトに、コンサートでも演劇でもミュージカルでもない舞台を開催。1万円を超える高額チケットでも入手が困難なほどだ。

「世情」 がドラマの挿入歌に

1977年に「わかれうた」、1980年に「ひとり上手」、1981に「悪女」といったヒット曲を出すが、テレビに出演しない中島みゆきを広く世間に知らしめたのは、1981年に放送されたTBSドラマ「3年B組金八先生」使われた挿入歌の『世情』(せじょう)だった。

不条理な世の中 怒り 憎しみ 

中島みゆき作詞・作曲の歌『世情』は、1978年に発表された4枚目のオリジナルアルバム『愛していると云ってくれ』に収録されている歌で、デモ隊のシュプレヒコールが波のように押し寄せる中で、不条理な世の中への怒りや憎しみを強く歌った歌だ。

校内暴力

当時は、中学生の校内暴力が社会問題化していた時代で、不良役を演じていた沖田浩之らが逮捕・連行されるスローモーションのシーンにあわせて、『世情』がフルコーラスで流された。

オレは腐ったみかんじゃねえ!

この時の加藤優の名セリフがある。「オレは腐ったみかんじゃねえ!」

素行の悪い、不良生徒は高校や大学は退学にできるが、中学校は義務教育なので退学にできない。だが、他の生徒を腐らせないため、他の学校へと転校させられる。

その時、不良生徒を演じる加藤優が言う。

「俺たちはミカンじゃねえ!人間なんだ!」

人間の精神が腐るということは絶対ない!

そして、金八先生が言う。

「辛いことがあって、あちこちぶつかっていれば、そりゃどこか腐ってくる。

だが、私たちはみかんを作ってるのではない、人間を作っているのだ!

人間の精神が腐るということは、絶対ない!」

ぼくたちの失敗  世情

「高校教師」で流された森田童子の『ぼくたちの失敗』。

「3年B組金八先生」で使われた中島みゆきの『世情』。

 

うまく生きられない、行き場を失った若者たちが救いを求めていた時代。

今は人間ではなく、機械が勝手に、腐ったミカンを選別し、破棄していく。

崇高な孤独

森田童子は生前、こんな言葉を残している。 

私、決して人が嫌いじゃない。異常なんです。一度接するとその人の後をついて行きたくなっちゃうの。だから、嫌いとは違うんだなァ。昔は対人恐怖症がひどかった。親に顔見知りしてたぐらいだから。

 

人はそれぞれ崇高な孤独を持っていればいい。