新型コロナ肺炎で死去、志村けん 感染判明から1週間で逝く
新型コロナ肺炎で死去、志村けん
感染判明から1週間で逝く
あっけない死だった。
「ザ・ドリフターズ」のメンバーで、タレントの志村けん(しむら・けん 本名・志村康徳、やすのり)さんが2020年29日午後11時10分、新型コロナウイルス肺炎のため亡くなった。70歳だった。東京都東村山市出身。
▼3月17日 倦怠感の症状があったため、自宅静養(発症日)
▼3月19日 発熱・呼吸困難の症状が出現
▼3月20日 訪問診察の医師の判断で、都内病院に搬送。重度の肺炎との診察を受け、入院
▼3月23日 新型コロナウイルス検査陽性が判明
▼3月24日 保健所による調査が行われ、発症日と濃厚接触者の特定が完了
▼3月25日 港区から新宿区の病院に転院、人工心肺による治療、意識不明の重体に
▼3月29日 死去
新型コロナウイルスの検査で陽性が判明してから、わずか7日後の死。本人も、こんなにあっけなく死ぬとは思っていなかっただろう。
新型コロナウイルスによる感染が確認された人の約80%が軽傷、14%が重症、6%が重篤となっている。重症化した人の半分は回復している。だが、このウイルスは、あっという間に命を奪う恐ろしいものだということが、日本人なら誰もが知っている有名な人気タレントの死によって、身近に迫ってきた。
志村けんはヘビースモーカーだった。一日に3箱のタバコを吸っていた。だが、2016年に肺炎になってからは、完全にタバコを止めていた。
世界保健機関(WHO)は、「感染した際の重症化リスクを高める」として、禁煙を呼びかけている。国内でも、東京都医師会や日本禁煙学会が同じ呼びかけをしている。
志村は、胃潰瘍や肺炎などの疾患があった。ウイルスはひそかに忍び寄り、命を奪った。2020年2月20日、70歳の誕生日を迎え、親しい仲間たちを集めて誕生日会を開いたが、それが最後になった。
初主演映画となるはずだった作品「キネマの神様」について、志村は3月26日に出演辞退を発表している。本当は辞退したくない。だが、まわりに感染者を出すわけにいかないので辞退したのだ。無念の死だった。
2012年8月に公開された日本映画『あなたへ』は、2014年11月に死去した高倉健最後の主演作品となった。
高倉健の最期の言葉は、
「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」
これは、比叡山の大阿闍梨・酒井雄哉師が、高倉健さんに送った言葉だ。健さんは、自身のエッセイで、「僕自身が長い間、心に刻んで大切にしてきた言葉」と綴っている。
2020年3月21日に逝去した、宮城まり子さん(養護施設「ねむの木学園」の園長、歌手、女優)。93歳。東京都出身。
戦後、少女のころから劇場などで本格的に歌い始め、靴磨きをして生きる戦災孤児を歌った「ガード下の靴みがき」(1955年)がヒットした。
1968年に私財を投じて静岡県浜岡町(現御前崎市)に「ねむの木学園」を設立。映画「ねむの木の詩」(1974年)は、多くの共感を集めた。作家の故・吉行淳之介は恋人だった。
宮城まり子さんが、よく綴る言葉がある。
やさしくね やさしくね やさしいことは つよいのよ
「やさしくね」は薄い墨で、「やさしいことはつよいのよ」は濃い墨で描く。
宮城まり子さんには、高校のころに会ったことがある。
私は、彼女の髪をもらったのだ。
長い髪の女を、私はそれから好きになった。
タイで付き合う女は皆、髪の長い、可愛くてセクシーな美女ばかりだ。
最後の言葉も、最後の映画も残すことなく、志村けんは逝った。
2020年3月はじめ。
ユーチューブで、テレビ番組『志村けんのだいじょうぶだぁ』で人気のコーナー、志村けんと、 石野陽子の夫婦(就寝)コントを見ていた。
つまらないなあと思いながらも、なんとなく見ていた。石野陽子はとても可愛いし、志村けんも楽しそうにコントをやっているのがよく感じられた。
コメント欄では「これを見ると幸せになる」「こんな奥さんが欲しい」「こんなに面白くて可愛い奥さん見つからないよな」という声があった。
これが、志村けんの遺作なんだなと思う。
志村けんが死ぬ直前。新型コロナで入院という知らせもない、何もない時。なぜ志村けんのコントをずっと見ていたのか。
何かに呼ばれた気がするよ。
写真引用:毎日新聞
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