神田沙也加さん急逝の悲しみ、松田聖子と神田正輝の“悲痛会見”は必要ない

神田沙也加さん急逝の悲しみ

松田聖子と神田正輝の“悲痛会見”は必要ない

2021年12月18日、神田沙也加さんが急死した。35歳の若さだった。

ご冥福をお祈りしたい。

神田沙也加さんは、主演ミュージカル『マイ・フェア・レディ』出演のため、滞在していた札幌市内の宿泊先のホテルの高層階から転落し、亡くなった。

部屋に3か所ある窓のいずれも開いていた。

警察は高層階の部屋から転落した可能性が高いとし、事件性はなく、飛び降り自殺と見ている。

遺書などは残っていなかった。

神田さんは1986年、歌手の松田聖子さんと、俳優の神田正輝さんの間に生まれた。転落する直前に、父親の神田正輝さんに電話していたことがわかっている。

正輝さんは18日にテレビ朝日系「朝だ! 生です旅サラダ」(土曜・朝8時)に生出演。番組終了後の午前10時ごろ、沙也加さんから正輝さんの誕生日(今月21日)を前祝いする電話があり、会話をした。

ホテルの14階の屋外スペースに神田沙也加さんが倒れていたところを発見されたのは18日の昼ごろ。20日には、神田正輝さんが北海道に到着。神田正輝さんの誕生日の21日、愛娘と無言の対面を果たすことになった。

《たいへん申し訳ございません。ありがとうございます。本当に身内の近親者のみで、お別れを、そしてお骨にすることができました。みなさん、ご協力ありがとうございました》

《本当にみなさん、お寒いなか、申し訳ございませんでした。ありがとうございます》

神田沙也加さんが急逝してから3日後の12月21日。

札幌市内の斎場に集まった報道陣を前に、神田正輝と松田聖子は悲痛な思いで、沙也加さんの遺骨と位牌を抱えたまま、カメラの前に謝罪と感謝の気持ちを述べた。

記者会見後、葬儀を終えたばかりの2人に、現場の記者は《今の気持ちは?》と質問を投げかけた。

結婚や葬儀、逮捕など、記者会見は芸能人の仕事のうちの一つ。

スターの暴露記事、プライベートな記事は、読者の興味を引くため、“売れる”からだ。

神田沙也加さんは、2001年に芸能界デビュー。

ディズニー長編アニメ『アナと雪の女王』(2014年)の日本語吹き替え版で王女アナの声を担当。その後も歌に演技に、と親譲りの才能を発揮してきた。

神田正輝は、テレビのロケで大阪のホテルに泊まっていた時、たまたま沙也加さんと同じホテルに宿泊していた。

そばにいた芸能人レポーターに、「娘です」と紹介した。

レポーターが「もちりん、知っていますよ」と言うと、神田正輝は「“大阪で若い女性と密会していた”なんて書かれちゃうかもしれないし』とおどけていた。

芸能サラブレッドの家庭で育った沙也加さん。1997年に聖子、正輝は離婚。しかし、父娘の絆は固く、正輝さんは沙也加さんの舞台を頻繁に観に行き、アドバイスをしていた。

2018年に出版された沙也加さんの著書『Saya Little Player』には神田からの直筆メッセージが寄せられている。そこに書かれているのはこんな言葉だった。

《パパが何処(どこ)に居ても 見えなくても 沙也加を愛しているよ》

松田聖子と神田正輝の“悲痛会見”は必要ない。

今後も、このような会見は失くしてもらいたい。