かぐや姫の歌『神田川』、作詞家の喜多條忠の死と日本の未来

2021年12月2日

かぐや姫の歌『神田川』、作詞家の喜多條忠の死と日本の未来

喜多條忠が亡くなる

かぐや姫のヒット曲「神田川」などで知られる作詞家・喜多條忠(きたじょう・まこと/本名同)さんが2021年11月22日午前6時、肺がんのため亡くなった。74歳。

喜多條忠さんは、昭和22年(1947年)10月24日生まれ。かぐや姫の1973年のヒット曲「神田川」や「赤ちょうちん」「妹」のほか、キャンディーズの「やさしい悪魔」「暑中御見舞申し上げます」、梓みちよ「メランコリー」、沢田研二「ロンリー・ウルフ」などの作詞を手がけた。

かぐや姫 神田川

赤ちょうちん・かぐや姫

4畳半フォーク

喜多條忠が放送作家をしていた1973年、自身の学生時代、同棲時代の体験を回想して書いた「神田川」を、南こうせつさんらのフォークグループ、かぐや姫が歌い、ミリオンセラーとなった。

「赤ちょうちん」「妹」でもつましい若者の暮らしを描き、彼らの歌は「4畳半フォーク」と呼ばれ、多くの和歌の者たちが共感した。

期待されていなかった『神田川』

貴方はもう忘れたかしら

赤い手ぬぐいマフラーにして

二人で行った横丁の風呂屋

一緒に出ようねって言ったのに

小さな石鹸

カタカタ鳴った

あなたは私の身体を抱いて

冷たいねって

言ったのよ

当時、『神田川』は、アルバムのB面に入っていた一曲に過ぎなかった。レコード会社のVICTORがシングル盤にしなかった。

「石鹸、カタカタ鳴った」「小さな下宿」

こんなへんな歌詞の歌が売れるわけがない、と思ったからだ。

元かぐや姫のリーダーで、ボーカル、作曲を手がけた南こうせつは、電話で喜多條忠から、できあがったばかりの歌詞を聞き取りながら、

「小さな石鹸、カタカタ鳴った…と書き留めながら、最初はなんて変な歌詞なんだろうと思いました(笑い)」

と思ったという。

私には、よくわかる。

この歌詞は、深い挫折感や劣等感、苦しみ、無力感を味わった者でしか書けない歌詞だ。それは、亡くなった歌手、尾崎豊にも通じる。

1970年代の日本

1970年代の初め。

日本では、日米安保条約に対する反対闘争、安保闘争・学生運動が盛んだった。若者たちは、これを阻止できなかった。日本はその後も、経済的にも精神的にもアメリカに支配され、新型コロナワクチンも、国産ではなく、アメリカやイギリスのワクチンを優先的に打たされ、日本人がいくらがんばっても、努力が報われない、さらに無力感・空虚感につつまれ、自殺や精神疾患を引き起こす人々が増大。ふた昔までは考えられなかった、AV作品に軽いノリで、スカウトではなく、みずから応募する若い女性も急増している。

日本は確実に病み続けているが、その矛盾すら感じられない。完全に麻痺してしまっているのだ。

日本が夢を見ていた時代

日本の若者たちが、みずからの国や生活をなんとかしなくちゃいけない、自分たちが変えなきゃいけないという熱い思いがあったころ。

やがて機動隊など、巨大な力に押され、また学生運動をすれば就職がない、といった威圧感も加わり、学生運動は次第に下火になった。

若者の間に挫折感、敗北感、無力感が広がった。

この時、喜多條忠には、学生運動で敗北し、自殺した女子生徒がいた。

その後、かぐや姫に書いた歌、「マキシーのために」という歌詞のモデルとなる女性だ。

最初は「ピラニアのために」という歌だった。

女子生徒が、機動隊員に殴られ、歯が欠け、ピラニアみたいになったため、「ピラニア」というニックネームが付いていた。

だが、南こうせつが「歌いにくい」というので、マキシーという名前に変わったのだ。

行き場を失くした若者たち

学生運動が終わり、どこにも行き場を失くした若者たちは、淋しい者同士で寄り添った。小さな下宿での同棲生活。

そんな時代に『神田川』は生まれ、大ヒットした。

南こうせつ、伊勢正三、山田パンダからなるフォークグループ「かぐや姫」が1973年に発表。南こうせつが自分が担当するラジオ番組で曲を流したところ、多くのリスナーたちからリクエストが相次ぎ、大反響を呼んだ。

急きょ、シングルカットされ、160万枚を売り上げる大ヒット曲となった。

イントロに流れるバイオリンの哀切な旋律。悲しく、深く、心をえぐりとるようなメロディーは、ギターの音だけが主流だったフォークソングに鮮明な印象を与えた。

こうせつ、喜多條忠の出会い

南こうせつは1970年のデビュー以来、人気はあるものの、ヒット曲に恵まれなかった。その時、文化放送で、偶然、あの男に会った。

喜多條忠である。

「キタジョーさん、頼みます。マキシーみたいなやつ」と、南こうせつは作詞を依頼する。

困ったのは、喜多條忠だった。

締め切りを尋ねると、

「今日中です、って平気な顔して言うんです」

と喜多條忠はインタビューで語っている。

あの時、小滝橋の交差点で

急な依頼で何も思い浮かばない。

仕事が終わり、タクシーで東中野の自宅に向かう途中。

小滝橋の交差点にタクシーが入った。

信号は赤。

タクシーは停車している。

その時、橋のたもとに、作業員服の男が二人、看板を取り付ける工事をしていた。

「パッと見ると、神田川って書かれてあるんです。

神田川……。

それまで汚いどぶ川としか思っていませんでしたからね」

と喜多條忠は語る。

信号が青になり、タクシーが走り出す。

神田川をテーマに書こう、と喜多條忠は思い立つ。

神田川、同棲時代

その時、喜多條忠は二十五歳。

結婚していた。妻のお腹には新しい命が宿っていた。

自宅に帰り、妻が買い物に行っている間。

喜多條忠はひとり、原稿用紙に向かう。

神田川

同棲時代

あれは何年前のことだろう。

それは、過去の女との物語だった。

当時、喜多條忠は二十歳。早稲田大学の学生。

大学の近くにあった三畳一間の小さな下宿。

お金がなくて、転がり込んだ彼女の部屋。

つきあっていた彼女は、一つ年下の同じ早稲田の女学生。

彼女は、小説家になるのが夢だった。

トイレは共同。風呂はなし。

ギシギシとした木造の階段を上ると、

そこは小さな下宿。

三畳一間なので、布団を敷くとそれだけで部屋がいっぱいになってしまう。

窓の下には、神田川が流れていた。

下宿の場所は、明治通りの戸塚警察署の向かい側、神田川沿いに入り、戸田平橋と源水橋の間。住所は高田馬場2丁目11番地。

歌詞に出てくるモデルとなった銭湯は、西早稲田3丁目にあった安兵衛湯。現在はすでに廃業している。

ただ、○○○○が怖かった……

学生運動に加わり、機動隊と衝突。

血と催涙弾がしみ込んだ男の身体を、

優しい彼女はいつもカレーライスを作って待っていた。

仲が良かった女学生は挫折し、死を選んだ。

だが、喜多條忠は死ななかった。

死ねなかった。

自分には、帰れる場所があった。

「疲れ切って部屋に帰ると、カレーの匂いがしてきて」と喜多條忠は語る。

コトコトと包丁で刻む音、

カレーライスをつくっている彼女の後姿。

彼女はにっこりと微笑む。

南こうせつとの締め切りが迫る中、

詞はすらすらと出た。

横丁の風呂屋。

小さな石鹸。

あなたは私の身体を抱いて

冷たいねって、言ったのよ。

だが、喜多條忠は、はたと思い悩んだ。

「これじゃ、ただの日記じゃないか」

思い余って、一行を書き加えた。

「若かったあの頃、何も怖くなかった」

だが、それでも何かが足りない気がした。

「若かったあの頃、何も怖くなかった」

その文字を見ていると、

怖かったものがあったのかなって……

と喜多條忠はインタビューで答えている。

あの頃を思い返す。

機動隊が怖かったのか……

あの頃、怖かったものは何か……

ただ、○○○○が怖かった……

宿題みたいに、

空白を開けたんです。

そうして、あの頃、本当に怖かったものが見えてきた。

「カレーを作る、彼女、

にっこり笑って振り返る彼女が怖かったというか……」

喜多條忠は回想する。

「俺はいい加減だからな……

きっと、こっちの方に行くんじゃないか……

本当にいい加減だからな……」

あの暮らしは何だったのか……

俺はこのままでいいのか……

彼女のやさしさ。その微笑。

その中にある平凡な暮らし

そうした中に埋もれていく自分

安易な方向に、彼女の安らぎに逃げ込もうとしている自分

そうしたものが、怖かった……

漠然とした不安と恐怖

そこから逃れるため、彼女とも別れた……

「これを書いて、想い出みたいなものとは別れようという思いはあったですね」と喜多條忠は語る。

そうして、喜多條忠は、空白に、言葉を埋める。

あなたの

やさしさが

怖かった……

今日中に詞ができた。間に合った。

喜多條忠は、南こうせつに電話をかけ、詞を伝える。

数分後、今度は南こうせつから、

喜多條忠に電話がかかる。

もう曲ができあがったという。

そのメロディーは、喜多條忠を圧倒した。

「不思議ですよね。詞を書き留めると、詞を書き留めた瞬間にメロディーが走るんですね。授かりものなんですよね……」

と南こうせつはインタビューで語っている。

映画「神田川」

「神田川」は大ヒットし、映画化された。

出目昌伸監督の「神田川」

主演は、草刈正雄と、ヒロインの関根恵子。

大学の人形劇サークルに所属する彼は、不思議な輝きと美しさを持つ彼女(かぐや姫)と出会う。

映画のラストシーン。小さな下宿で草刈正雄と、関根恵子が言い争い、部屋にあった人形を草刈正雄が窓から放り投げる。

『神田川』の歌が流れてくる。

人形は神田川に流されてゆく。

ぷかぷか浮かぶ人形。悲しそうな表情。

呆けたように開いた目

人形は、どんどん流されてゆく。

そして、河口から東京湾へ。

画面が引いてゆき、巨大な東京をカメラが見せるところで映画は終わる。

ひとつの恋愛もセックスも、ごみよりも小さく、何の重さもない。

それは当時、今の若者たち、私たち。

その無数にいる若者たちのうちの一人、一組のカップルを、永遠の名曲として誕生させたのが、喜多條忠の『神田川』だ。

2021年12月、「オミクロン株」が国内で確認

喜多條忠が亡くなり、その発表があった2021年12月1日。

日本では、新型コロナウイルスの変異株「オミクロン株」が国内で確認され、これまでの変異株と比べても異例といえる変異の多さに特徴があることがわかった。

オミクロン株には、ウイルス表面の突起部分に30か所以上の変異があり、「鍵」の役割を持つ突起は、人間の細胞の側にある「鍵穴」に結合して細胞内に入り込む。変異で鍵の性質が変わり、細胞内に侵入しやすくなり、ワクチンで作られる「中和抗体」の働きを弱める。

日本は年末年始に向けて気温が下がり、人の移動や接触機会も増え、爆発的な感染拡大が起こるだろう。

65歳以上の高齢者――それは『神田川』世代の人たちが重症化し、死亡に至るリスクも増える。

コロナに感染し、死ぬ。死に至らなくても重症化、あるいは軽傷でも、後遺症がいつまでも続く。

あの暮らしは何だったのか……

俺はこのままでいいのか……

喜多條忠は、空白に、言葉を埋めた。

私の空白に

埋まるものはあるのか。